ロンドンといえば夏目漱石が「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じつめたよなものである*」と語っています。ゆえに私は心して訪れてみました。11世紀に要塞として建てられ、後に王の居城にして、そして牢獄としても使われたといいます。とはいえ倫敦塔の威容をお伝えするのはとても難しいものです。今回はその歴史を少しでも煎じていただけますように、絵画や小説などとあわせてMature紀行をお届けします。
シェイクスピアによって極悪人として登場するリチャード3世には諸説あります。ただし世継ぎの王子とその弟をロンドン塔へ連れ込み自らが戴冠したことは事実です。その少年たちはロンドン塔から消えました。絵画の中で兄弟は話しているようです。
兄:『命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを』
弟:『母様に逢たい』*。このとき、とても醜く、びっこのリチャード3世は「そばを通れば犬もほえる」の噂そのもの、子犬がその陰謀を物語っています。
◾️1831年/『ロンドン塔の王子たち』ポール・ドラローシュ
ルーブル美術館所蔵:筆者撮影
「英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺がぬ者はあるまい。」*
親族の野心のために倫敦塔で処刑されたジェーングレイは16歳、「九日間の女王」と呼ばれています。ロンドンナショナルギャラリーのこの作品はなんと、ほぼ等身大でじっくりと語りかけてきます。その美しさ、切なさ、恐ろしさ、見入るうちに鳥肌が立ってきました。死刑執行のサインをしたのはブラッディメアリことメアリー女王、英国の歴史と芸術の極致を味わったような気がしました。
◾️1833年/『レディ・ジェーングレイの処刑』ポール・ドラローシュ
ロンドンナショナルギャラリー所蔵:筆者撮影
名作をかみしめながら灰色の壁を通り抜けるとビーフイーターが観光客を集めていました。ビーフイーターとはこの塔の番人のことで今ではツアーガイドの役目をこなす人気者です。すこし陰気な塔内を明るくもてなしてくれます。「塔のシンボル、天守閣をホワイトタワーと呼ぶのはマーケティング戦略さ」と観客を笑わせます。
◾️ロンドン塔とビーフイーター(パンフレットより)
その横にひっそりとあるExecution memorial。これがあの・・・アンブーリンの処刑の跡地。思わず息を飲んでしまいます。英国史に燦然と輝くエリザベス1世の母親がここで処刑されたのです。
1861年ビクトリア女王がロンドン塔を訪れアンブーリンの物語に感動しこの地をメモリアルとするよう命じたと(Excution Memorialより)。その頃から歴史的建造物としての性格が濃くなり世界遺産に指定されたそうです。
◾️アンブーリンの処刑台跡:筆者撮影
◾️アンブーリン:Plauqe of Excution Memorial.
This sculpture marks the spot where Queen Anne Boleyn was thought to have been executed.
夏目漱石は「塔の見物は一度にかぎる」とかいています。英国の歴史は
おそろし過ぎるのです。そして英国人はあの凄まじい内乱を薔薇戦争と呼び、あの真っ赤なカクテルをブラッディメアリと呼び・・英国文化はよくやるもんだと思っていました。とはいえ現代のビーフイーターのジョークのセンスですこし理解できた気がしました。
◻️おもな参考文献
*「倫敦塔」(夏目漱石・青空文庫)
東京文化ライオンズクラブ
L城戸正幸