上野を無料で楽しもう! 上野ミュージアムウィークが3年ぶりに開催決定!

上野エリアの人気スポット&グルメをおトクにまわる一大チャンスがやってきました!例年一年に一度訪れる上野を最高に楽しむ日が訪れます!

数多のおいしい老舗と数多の文化施設をほしいがままに堪能するウィークです。上野の上野らしさを存分に味わえるスペシャルな期間です!

今回の上野ミュージアムウィーク2023の見どころは3点!!!

・5/16(火)と5/18(木)に一部施設で開催される”無料観覧日”!
・上野のれん会が贈る街のお楽しみ無料クーポン!
・作曲家・植松伸夫氏スペシャル動画「植松伸夫 con TIKI 」配信!

上野ミュージアムウィークとは?

「国際博物館の日」は1977年に国際博物館会議(ICOM)が設けた博物館の記念日です。多くの方に博物館に親しんでいただく、博物館の役割をより広く知っていただくことなどを目的に、5月18日とその前後に世界中の博物館で記念行事が行われます。

国際的にも稀なほど、博物館・美術館などの文化施設が多数集まる上野では、毎年「国際博物館の日」の前後を「上野ミュージアムウィーク」として文化施設と上野のれん会が様々な記念イベントを行っています。

上野の山とまちを堪能する

上野公園の文化施設と同じくらい歴史の名店が皆様をお待ちしています。今回、クーポンに参加されるお店は上野が誇る名店です。公式ウェブサイトのクーポンページを見せて、サービスを受けてください。上野のスペシャルウィークに相応しい大盤振る舞い!大変コスパのよい贅沢な1日が過ごせます!

5月18日(木)は東京国立博物館、科学博物館、西洋美術館の3館の常設展が無料になるスペシャルデイ!ぜひ上野の文化施設とまちをお楽しみください!

5月20日(土)からはファイナルファンタジー・シリーズで有名な作曲家・植松伸夫さんのスペシャルコンサート動画も配信されます!

リアルで、オンラインで、五感で上野をご堪能ください!

初夏の風とともに、ぜひ上野界隈を散策ください!

現役東大・慶應・法政の大学生が考案!カードゲームで歴史を面白く!

初めまして!


「歴史を楽しく主体的に」というビジョンを掲げて歴史カードゲームHi!story(ハイストリー)を作成・販売している東京大学、慶應大学、法政大学の現役大学生チームです。

今回、幸運にも鈴木Lの関係から機会をいただくことができたので我々の思いを書かせていただきます。

突然ですが、学校の社会の授業で子供達が目をキラキラ輝かせ、進んで手を挙げている姿を想像してみてください。先生や保護者さんの目線から見るとこんなに嬉しいことはありませんよね。

しかし…

歴史は「暗記で苦しい、つまらない」と思っている子供が沢山いるのが現状です。
親が「勉強をしなさい!」と言っても素直にやらなかったり、やったとしても、ストレスを溜めながら嫌々勉強する子供が大半です。

それも無理はありません。子供にとって硬い歴史の参考書や板書を写すだけの授業は「面白くない」のです。

でも、思い出してみてください。あなたにも同じ経験はありませんでしたか?
板書をノートに取るだけの授業。テストのためだけに赤シートを使ってわけもわからず用語を暗記。
テストや受験が終われば、綺麗さっぱり忘れ去っていく。「歴史ね。あー習ったね。何やったか全部忘れたけど」

やがて、大人になって
ふとニュースを見て考えた時、「あれ、この国ってなんで戦争してるんだろう…」
観光地に行って子供にその場所の歴史について聞かれた時、「あれ…全然、歴史についてわかんないや…」
友達や上司と自分の未来やキャリアについて話した時、「やっぱり、日本はこれから…だよね」「俺もそう思うよ、だって…だもん」「これからは…がくるね。過去の話を見ても…」という話を聞いてポカンと口が空いてしまった経験、よく分からないけど「うん、そうだね」と相槌だけ打っていた経験、ありませんか?

そんな時心の中では、「あぁ、自分ももっと歴史を好きだったらなぁ。もっとニュースとかを興味津々に見ておけば良かったなぁ」と思っていたはずです。

子供時代に歴史に興味が持てず、大人になってそんなような思いをする子供が減るように、歴史カードゲーム、Hi!story(ハイストリー)を作りました。

歴史を好きになる入り口となる最高の製品をお届けします。

今年の2/21に第一弾の平安・鎌倉 vs 幕末・明治のスターターデッキを発売開始しました。

「子供が自分から歴史人物について調べたり聞いたりと興味を持つようになった!」
「あっちには強い西郷隆盛がいるからね…みたいにポケモン感覚で歴史人物などを覚えている!」
「ゲーム中に歴史人物やキーワードを自然と声に出している!」

などなど、お子様をもつ保護者様を中心に喜びの声を続々いただいております。

学生の身ということもあって、資金面などの制約から、現在は限定数百部しか販売しておりません。ご興味を持っていただけた方は以下の公式HPからお早めにお申し込みいただけると幸いです。

▶ 公式HP(ご購入や詳細はこちらから)
https://highsto.net

▶ 公式Twitter(最新情報はこちらから。フォローやいいね、お待ちしています。)
https://twitter.com/projecthcard

現在は次回作を準備しております。もしご興味を持っていただけたら、応援の程よろしくお願いいたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第四号

皆さんこんにちは!

東京文化ライオンズクラブと歴史探求団体「ヒストリンク」のコラボレーション企画
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第四号を配信いたします:)
大河では姉川の戦いが終結し、いよいよ武田信玄との直接対決の時が迫りつつありますね。
今回のトピックでは前回までの放送を振り返り、以下三点

・三河一向一揆
・今川家の滅亡
・戦国時代のお菓子金平糖

これらについてエピソードを交えつつ解説します!
お楽しみください♪

【①三河一向一揆】
ドラマでは三週に渡って行われた一向一揆のエピソード。
こちらを史実に基づいて解説します。

三河一向一揆は
永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけて行われた
約半年間ほどの三河領国内での戦いです。
一揆のきっかけとなった出来事には複数の説がありますが、
主に「治外法権であるはずの寺社内に家康配下の武士が立ち入った」ことが原因とされています。
年貢の納入を拒否された・犯罪人を捕まえるために侵入したなどの説があり、
家康側の気持ちも分からなくないのですが、当時のお寺は大名の支配とは異なる独自の権力として
存在していたためこれは家康側の明確なルール違反でした。
ドラマで描かれていたように、三河の一向一揆への対応で家康は家臣団が大きく割れての大騒動になりましたが、
結果としては領国内に存在した如意ならざる存在を徹底的に排除するきっかけとなりましたので、
後々のことを考えると怪我の功名ともいうべき戦いとなりました。

中世当時の日本では土地の支配制度・権利関係は極めて複雑で、
領主が領国内を一括で統一する体制にはなっていませんでした。
(※歴史用語ではこの重層的な土地所有関係は”職の体系”と呼ばれています)
一向一揆衆も当然のごとく不入不輸の権利を持ち、寺社同士のネットワークも存在していましたから、
そのような如意ならざる存在が国内に複数ある状態では国の統治はままなりません。
ですから織田信長も一向一揆の存在には頭を悩ませていましたし、
最終的には寺社を焼き討ちしてまで自国の支配権を確立させたのでした。

なお大河ドラマでは一向一揆の結末として「元の原っぱに戻す」という頓智のような話を持ってきましたが、
こちらの元ネタは『三河物語』の中に登場します。
一般的にはこのエピソードがあるから「徳川家康は腹黒である」などと言われたりするのですが、
今回の大河ではこのセリフの発案者を本多正信ということにして松潤家康のイメージとの矛盾を回避したのは
上手な脚本だなと感じた次第です!

【②戦国大名としての今川家とその後の氏真】
偉大な父親の元に生まれ苦悩の連続であっただろう氏真。
その人生をダイジェストで振り返ります。

「海道一の弓取り」と謳われ一大勢力を築いた名君今川義元公。
幼少時代の家康も人質として使えた大人物でしたが、
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで織田信長により打ち取られ
その後の勢力図は大きく変わってしまいました。
今川家を継いだ氏真は父親の築いた地盤を維持することができず、
三河の家康と甲斐の武田信玄の両者からジワジワと侵略を受け、
永禄12年(1569)の掛川城開城を以って戦国大名としての今川家は滅亡してしまいました。

ここで「戦国大名としての」と書いたのは、実は氏真は戦いの中で打ち取られたのではなく、
今川家自体もその後の時代(幕末以降!)まで存続したからです。
今川氏真は蹴鞠の名手であり、天生3年(1575年)には京都へ旅をして
織田信長の前で蹴鞠を披露したという逸話が残されています。
また彼による和歌も数多く残されており
「今川氏真詠草」には428首もの和歌が残されているそうです。

関ヶ原の戦いも終わった慶長18年(1613年)に77歳もの長寿で亡くなるまで
生きた氏真は、晩年には家康の茶飲み仲間にもなっていたと伝えられています。

氏真の歌として
「なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身のとがにして」
というものが知られています。
高い教養を誇り多くの人から尊敬されつつの最後であったと聞く晩年ですが、
生まれたのが戦国乱世という「時に合わぬ」時代であったのは氏真の不幸だったのかもしれません。

【③金平糖は”金のお菓子”!?】
小粒でもピリリと甘いあのお菓子のお話です。

ドラマの中で家康はあるお菓子を血眼になって探します。
そのお菓子の名はコンフェイト、そう今でいう金平糖です。
戦国モノのドラマでは織田信長と関連させてしばしば登場するイメージのある金平糖ですが、
史実でも永禄12年(1569年)にポルトガルの宣教師ルイスフロイスによって献上されています。
この頃の金平糖は現代とは異なり、大きめのサイズに白一色のもので、
フラスコに入れられて献上されたそうです。
(ちなみにコンフェイトという言葉もジャムなど果物の保存食全般を表す言葉だったそうな)

「信長のシェフ」という漫画によれば、この頃の日本ではまだ砂糖が国内生産をされておらず、
年間でも150キロほどしか手に入らない状態だったそうです。
だから砂糖は金塊と同じくらいの値段で取引されたという話で、
なんだかこれは「コショウ一粒が金一粒の価値」と言われた大航海時代の香辛料の話とも似ているように感じます。
しばらくはこのように珍重された金平糖などの砂糖菓子ですが、
18世紀の八代将軍徳川吉宗の時代になると国内でさとうきび栽培が奨励されるようになり、
名古屋・和歌山・四国・九州などを拠点に砂糖が大量に国内市場に出回るようになるのでした。
今日の多様な和菓子の形態はこの頃に形作られたとのことです。

【☆ヒストリーライオンでは質問も募集しております】
今回のレポート・特別篇はいかがでしたでしょうか?
歴史や地理に興味のあるライオン同士で繋がりましょう!
本メルマガでは歴史好きにとって興味深いトピックも詳しく解説していきます。
(例:長篠の戦い、神君伊賀越え、関ケ原などは大注目!)
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ぜひメルマガの感想をいただけますと嬉しく思います♪
大河ドラマを見ていて疑問に思ったことなども、なんでも質問いただけましたら調査致します。
歴史好きな皆でぜひ交流を深めていきましょう。
よろしくお願いします♪

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【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com
金平糖の歴史
https://www.ebisudo-seika.co.jp/hpgen/HPB/entries/9.html
江戸時代の砂糖食文化 砂糖の流通と砂糖菓子
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000274.html

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com

「池上本門寺を知る!」今話題の徳川家康と本門寺に深い関係性あり!

皆さん、こんにちは!東京文化LCのムードメーカーのL柏原です!

今月は私の方からメルマガをお届けします。

今回は池上本門寺「池上本門寺ウェブサイト (honmonji.jp)」をテーマにしたいと思います。

なぜ池上本門寺をテーマにしたかというと、当クラブのメンバーに池上本門寺の関係者がおり、私もその池上出身ということで、われらの地元「池上」を少しでも知ってもらえればと思います!

池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山です。

日蓮聖人入滅の霊場であり、また布教の殿堂として現代にその法灯を受け継いでいます。

その池上本門寺には、歴史上の有名な人物や著名人のお墓が多く建てられています。

その中でも今回は、大河ドラマ「どうする家康」でも登場する家康の側室の「お万の方」について調べてみました!

お万の方は、江戸時代初期に活躍した女性で、江戸幕府の初代将軍・徳川家康の側室の一人でした。彼女は非常に美しく、才気にも富んでいたため、家康から寵愛を受け、その後も江戸幕府の将軍や大名たちからも愛される存在となりました。

お万の方|徳川家康の側室で結城秀康の生母 | かおりんの歴史ブログ

一方、池上本門寺は、江戸時代に江戸市内にあった仏教寺院です。この寺院は、日蓮宗の総本山である本門寺の分院であり、江戸幕府からの保護を受けていました。池上本門寺は、江戸時代には庶民からの信仰が篤く、また様々な文化活動や社会福祉活動を行っていたことでも知られています。

お万の方と池上本門寺には、ある逸話が残っています。お万の方は、ある日池上本門寺を訪れた際に、寺の住職から日蓮宗の教えを学び、感銘を受けたといわれています。その後、お万の方は日蓮宗の信者となり、池上本門寺に度々足を運ぶようになりました。また、お万の方は池上本門寺に多額の寄進を行い、寺の発展に寄与したとされています。

実は、その「お万の方」のお墓が池上本門寺にあるのです!

かなり大きく立派なお墓ですね~!

ぜひ一度歴史に思いを馳せながら、お参りしてみてはいかがでしょうか?

それでは、また次回のメルマガをお楽しみに~♪

※ちなみに今回の記事は一部chatGPTを活用しております。こんなに便利なものが使える時代になったのですね。SFの未来もすぐそこまできているのかもしれません