Mature紀行④Night Museum

「ルーブル美術館は混雑するので私は行きません。・・でも金曜夜ならいいかも」と、パリ在住の文化専門通訳ガイドさん。そういうものかと納得し、なんとか都合をつけて行ってまいりました。なるほど、到着するとこんなに空いているのかと嬉しくなってまいります。おちついた環境で3時間ほどじっくり見て回ると、もうくたくたです・・。今回はナイトミュージアムならではのじっくり体験の一部をご紹介します。

Louvre Museun  in summer 18時30頃(筆者撮影)

さっそく向かったのはリシュリューwing。17世紀のフランスの大政治家・大思想家でブルボン朝で絶対王政を確立した宰相の名前です。戦艦の名前になったり紙幣に肖像画が載るくらいなので日本でいえば江戸幕府初代征夷大将軍徳川家康のような存在でしょうか。私が最も行きたかったルーベンス『マリードメディシスの生涯』の絵画群とピッタリ世界が一致しました、同世代です。当代きっての芸術家ルーベンスが描いたこの大作群は、ブルボン朝の初代アンリ4世がフィレンツエの大富豪メディティ家から迎えた王妃マリーの生涯です。なかでもひときわ目を引くのが『マリーのマルセイユ上陸』。豊満な裸体をさらす肉感的なニンフ達と海神ポセイドンやトリトンに祝福されやってきたマリーは・・おや。圧倒的ヒロインであるはずの彼女はそれらしからぬ様相を呈しているようです。大金持ち娘さんは苦労をしらずのおばさん顔・・。実際には名実ともに「大きな顔」をしていたそうです。

🔳Marie de’ Medici

1625頃『マリーのマルセイユ上陸』

〜マリードメディシスの生涯より〜

ルーベンス・ルーブル美術館所蔵(筆者)

この絵をみてどうしても思い出すのがアンリ4世の公式の寵妃ガブリエル・デストレです。本来アンリ4世の王妃となるはずであったが突然死をしたという西洋史のミステリーです。彼女が妊娠し国王の庶子誕生を祝う作品があります。右がガブリエルで左手に指輪をもちとても幸せそうな様子です。妹が乳首を掴んでおり妊娠を連想させているそうです。よくみると背後では女性が股を開いている絵が飾ってあり何かを暗示しています。やはり幸せはそう簡単なものではありませんね。ガブリエルはアンリ4世にとって有能な外交官であり、事実上の妻であったと言われています。アンリはとてもガブリエルを愛していた、そして突然死に深く絶望したそうです。その後やってきたメディチの娘マリーは自分より大柄で凡庸でした。ガブリエルがより不憫にもおもえます。しかしながら多産系のマリーはしっかり後継をのこしブルボン家の安泰に寄与します。ところがその後アンリ4世は何者かに暗殺されました。ヨーロッパの歴史は恐ろしい。

🔳 Gabrielle d’Estrées

1594頃『ガブリエル・デストレとその妹』逸名の画家・ルーブル美術館所蔵

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マリーの長男がルイ13世、アンリの死後わずか8歳で新王となりマリーが実権をにぎりました。しかしその後は母子関係も拗れてルイ13世が成人すると母と子の戦争となりました。フランス文化を世界が崇める存在まで築きあげたブルボン王朝の初代国王アンリ4世、王妃、そしてルイ13世の幸せそうな作品がありましたので1枚紹介します。アンリ4世が暗殺される直前の情景だそうです。なんども思惑により描き直されたそうですが、こんな作品が一番が見ていてほっとしますね。

🔳Henry 4th 1625頃『摂政移譲』

〜マリードメディシスの生涯より〜

ルーベンス・ルーブル美術館所蔵

▪️アンリ4世、マリー、ルイ13世が仲良く描かれています〜

ルイ13世にとってリシュリューは枢機卿であり宰相。フランスの国威発揚には欠かせない存在であり二人三脚で王権強化につとめました。というより政務はリュシュリューにまかせ自分はヴェルサイユの小村に入り浸って狩猟を楽しんでいたようです。そして太陽王ルイ14世の出生の秘密も乗り切りフランスは絶頂期を迎えることになります。

🔳Louis 13th:1635 年『ルイ13世』1639年『リシュリュー』

フィリップ・ド・シャンパーニュ画:ルーブル美術館所蔵

政治と文化は密接な繋がりをもっています。この17世紀前半に活躍したルーベンスは外交官としても活躍しスペインのフィリップ4世と英国チャールズ1世からナイト爵を授かっています。フィリップ4世の王妃(エリザベート)もチャールズ1世の王妃(ヘンリエッタ・マリア)もマリードメディシスとアンリ4世の娘でした。どのような母子の会話があったのだろうか、なかったのだろうか。

・ピーテル・パウル・ルーベンス:1640没

・マリー・ド・メディシス   :1642年没

・リシュリュー枢機卿     :1642年没

・ルイ13世         :1643年没

このあとフランスはリシュリューの継承者マゼラン宰相のサポートを受け4歳のルイ14世が即位します。太陽王と呼ばれ72年間も君臨し大世紀を迎えます。

ブルボン王朝の歴史的人物が繰り返し見たであろう絵画群、彼らが表情や衣装やポーズまでくまなく見たであろう絵画たちを、同じ距離感で鑑賞することができました

作品を通して自分と同じ位置にいる400年前の彼らと向き合えたのかもしれません。ナイトミュージアムで歴史に思いを馳せることができました。

東京文化LC

L城戸正幸

JAZZへの誘い(いざない)vol.1

JAZZって何だ~        


ひとくちにJAZZと言っても、その有り様はその姿や形において様々です。JAZZZ好きの人は多く見かけますが、どのアーティストのどの曲が好きか?なぜ好きか?と問いても その答えは様々で百家争鳴です。自分自身は40歳前ににサックスフォンを買って、

習い始めてから、(練習不足でなかなか上達しませんが…)沢山のアルバムを買い集めて深く聴くようになりました。特に若い頃は JAZZはうす暗い空間でウイスキーグラスを片手に煙草を燻らしながら聴くもんだと勝手に思い込んでいたものです。。

 但し 学生時代に先輩のアパートの部屋で聴いた ジョンコルトレーン(サックス)の「BALLADS」バラードというアルバムには心を奪われ、痺れました。

私の生まれ育った東京都下の吉祥寺では 今でも営業を続けているファンキー、

メグ、サムタイム(ライブハウス)などのジャズ喫茶に高校生の時分によく出入していたのですが、それは音楽を聴くためではなく、珈琲を飲んで友人と会話するときのBGMという位置づけの音楽でした。

改めてJAZZって何だ?の副題に戻ります。楽器を手に取って 練習を重ねて徐々に分かっていくことですが、JAZZを音の仕組みや裏拍子、アクセントのつけ方、リズムパターンといった音楽的な形式によって 明快に定義できれば便利なのですが、なかなか複雑なうえ 加えてJAZZの機能のひとつにアドリブ(即興演奏)があります。しかしながら これらはJAZZの魅力の全てをカバーするわけでもなく、またJAZZはSWINGする音楽だという言われ方もしますが、ノリの世界~SWINGとは何だ?これまた定義づけするのは難しいように思われます。

ひとつ言えることでJAZZは黒人音楽の中からアメリカで生まれて、年代と共に変化してきた音楽ではあります。

黒人音楽のブルースを基本として、特に20世紀初頭のニューオリンズのJAZZはそれまでのブラスバンドのマーチやブルースに即興演奏を組み合わせたもので、例えばレイチャールズの伝記映画「RAY」のブラスバンドの「聖者の行進」のシーンに当時の面影を見ることができます。

日本のジャズシーンは戦後になりますが、進駐軍クラブから、原信夫、ジョージ川口、小野満 渡辺貞夫 秋吉敏子ら後に名を成すジャズメンが育っていきました。前述したコルトレーンの次に アルバムを買い集めて聴き入ったのは トランペット奏者のマイルスデイビスでした。

次回はさらに深堀して ジャズボーカルやボサノバなどを紹介したいと思います。

※お断り 本文中の人名は謹んで敬称略としております

L河田弘昭

東京文化リレーコラム・蕎麦屋巡り 四軒目

更科 堀井総本家

四軒目は麻布の御三家 更科堀井です。麻布十番にある御三家更科はのれん分けなどで「更科 堀井総本家」「永坂更科 布屋太兵衛」「麻布永坂 更科本店」と三店あり少々混みいっています。

まずは本家筋の堀井から紹介です。

麻布十番は麻布界隈にお住いの方々の商店街で上品なお店が多くあります。最近は六本木ヒルズ開発などでにぎやかになり南北線や大江戸線も通るなど行きやすい街となりました。

さて、更科堀井ですが麻布十番の中でもけやき坂寄りにあります。いつ行っても人気店のためお客様で賑わっています。本店のほかに立川店、日本橋高島屋店があります。近頃ではニューヨークにも出店しました。

下町の蕎麦屋と違い家族連れや六本木のお客様が多いお店

永坂更科のヒストリー

永坂更科は1789年に麻布永坂町に初代布屋太兵衛(堀井清右衛門)が「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を開業したことから始まります。その後代々堀井家が営業してきましたが、昭和の大恐慌で一度廃業しました。

これがきっかけで3店舗がランダムに永坂更科が生まれてしまいます。

まず、昭和23年に料理屋の馬場氏が「麻布永坂 更科本店」を七代目堀井氏より許可を得て開業。次に小林玩具店小林氏と麻布十番商店街の組合長木村氏、七代目堀井氏の出資した法人が設立され「永坂更科 布屋太兵衛」の店が開業されました。その後七代目堀井氏は出資を引き揚げますが、昭和59年に八代目堀井氏が「総本家 更科堀井」を開業し現在に至っています。

鴨焼き
野菜天種
赤坂生ビール

それでは布屋太兵衛の血筋をもつ堀井家の蕎麦をご紹介いたしましょう。

お蕎麦の前にまずは赤坂生ビールとつまみ、鴨焼きと野菜天種をたのみます。

鴨焼きはテーブルで焼く本格派、紙エプロンも提供されます。

上質な鴨を焼きたてで頂くのは珍しいですね。蕎麦は元来、天ぷらや鴨の油が良く合います。

天ぷらは種類も豊富で今回は野菜種をたのみましたが、このほかにも海老天種、小海老天種、かき揚げもあります。

もちろん老舗のあかし「そばがき」や「焼き蕎麦みそ」もあります。

蕎麦屋飲みには十分なメニュー延々と飲み続けられそうです。

「さらしな」 
「太打ち」

仕上げのお蕎麦は看板の「さらしな」と「太打ち」

「さらしな」は永坂更科の特徴 更科粉の白いお蕎麦とあま汁の組み合わせ、上品で細い麺とあま汁がベストマッチです。

一方「太打ち」は挽くるみの十割そば粉です。見ての通りうどんのように太いのが特徴で

から汁に合わせて頂きます。風味が豊かな田舎風蕎麦です。

両方の蕎麦が反対の性格ですが、更科堀井ではこのほかにももりそばと季節の変わりそばもあります。次回訪問時は是非食べたいと思います。

更科堀井は休日がほとんどありません。麻布十番に出向いたり、蕎麦が食べたいなと思ったりしたら、ちょっと立ち寄るのはいかがでしょう。

次回は永坂更科の2店目更科本店へ伺います。

総本家 更科堀井

電 話 : 03-3403-3401

住 所 : 〒106-0046  東京都港区元麻布3丁目11−4

営業時間: 平日【昼の部】11:30~15:30(L.O.15:00)

【夜の部】17:00~20:30(L.O.20:00)

土日祝 11:00~20:30(L.O.20:00)

定休日 : 日曜日(祝祭日は営業)

URL    : https://www.sarashina-horii.com/azabu/