ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』ー羽柴秀吉と家康が激しく争った「小牧長久手の戦い」ー

皆さんこんにちは!
東京文化ライオンズクラブと歴史探求団体「ヒストリンク」のコラボレーション企画
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』のコーナーです。
夏も終わりを迎えつつあり大河ドラマも折り返し地点を過ぎましたね。
今号では本能寺の変にて織田信長が斃されたあとの話、
羽柴秀吉と家康が激しく争った「小牧長久手の戦い」について取り上げていきます!

【本能寺の変以後の織田家の家督争いを辿る!】

―天正十年(1582)本能寺にて織田信長散る―

このニュースは日本全土に衝撃をもたらします。
信長のもと収まりかけた天下が一転して再び戦乱の世に戻ってしまう…
そのような張り詰めた空気の中の数年間となったでしょう。

大河ドラマでは
第三十章「あらたなる覇者」
第三十一章「史上最大の決戦」
第三十二章「小牧長久手の激闘」
の三回に分けてこの頃の様子が描かれました。

ここからの数年間は織田政権内部が慌ただしく変化するため
情報を整理しながら押さえていくと分かりやすいでしょう。
今回は主に「小牧長久手の戦い」までの流れをとりあげて
混乱する情勢を三英傑「織田・豊臣(羽柴)・徳川」の視点から整理していきます。

【羽柴秀吉の視点】

本能寺の変の知らせを聞いたとき秀吉は中国地方にて毛利と交戦中でした。
しかし信長落命の情報を得ると攻めていた城の主人に腹を切らせ素早く和睦。
そのまま10日間の猛スピードで畿内へと引き返します(中国大返し)
予想外の進軍速度に対応の遅れた明智光秀を「山崎の戦い」にて破り、
主君の仇討ちという一番手柄を立てることになりました。

その後織田家の後継者を決める「清須会議」では
次男三男の信雄・信孝の後継者争いを抑え、信長の孫の三法師を推挙。
ここから発生した反秀吉陣営である柴田勝家(織田家筆頭家老)、信孝を破ります(1583年,賤ヶ岳の戦い)
この戦いのときには織田家次男織田信雄は秀吉サイドにつき戦いましたが、
その後安土城を取り上げられるなどの待遇不満を徳川家康に相談。
天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いが勃発することになったのでした。

【徳川家康の視点】

本能寺の変の知らせを聞いたとき、家康は京の都にいました。
天正十年(1582)は宿敵武田勝頼を滅亡させた記念すべき年でもあり、
信長は甲府をしばらく見物したあと家康の所領を大変な歓待を受けながら凱旋したのでありました(ドラマ第二十六章『ぶらり富士周遊』)
この時の様子は太田牛一『信長公記』にも詳しく記されており「信長公の御感悦(ごかんえつ)、申すに及ばず」との箇所があります。
このようなもてなしは「上古よりの初めなり」とまで称える記述もあり、
それほどまでの接待のお礼にと今度は家康が来る際に「安土への道中、家康に最大の馳走を」との指示を諸大名に命じられました。
このときの歓待役として選ばれたのが明智光秀でありますが、この際に腐った魚を提供したため信長に折檻を受け
それが本能寺につながったと『川角太閤記』という書物には記されています。

そして旧暦六月二日、本能寺の変。
第一報を茶屋四郎次郎から知らされた家康は危機を悟ったことでしょう。
信長と家康は「清須同盟」という強い同盟関係を結んでいる仲だったため、
明智光秀に真っ先に命を狙われることが必定だったからです。
そのような人生最大ともいえる危機の中、俗にいう「神君伊賀越え」により本国に帰還した家康ですが、
主君の仇討ちには間に合わず秀吉に先を越させれる形となりました。
※ただし一説には、恩賞の不確実な仇討ちを敢えて避け甲斐や信濃など武田の旧領の制圧に力を入れたという話もあります。
その後清須会議を経て、賤ヶ岳の戦いに直接は介入せず。
戦後の待遇悪化を訴える三男織田信雄と共に秀吉の権力拡大を防ぐべく小牧・長久手の戦いを始めたのでありました。

【小牧長久手の戦いとは】
本能寺の変から二年、賤ヶ岳から一年後の
天正12年(1584)に羽柴秀吉VS徳川家康・織田信雄の間で行われた戦いです。

この戦いは「織田・豊臣・徳川」の三英傑が唯一関わりあった戦いとも言われており、
のちの関ヶ原には規模で負けますが天下を大きく二分した戦役だといえます。
3月から11月にわたる長期間行われたこの戦いは、序盤家康が
長久手の戦いにて豊臣方の池田恒興、森長可(ながなり)を打ち取るなど圧倒しますが、
織田信雄が豊臣方に本領を責められ和睦。戦の大義名分を失ってしまった家康も
それに合わせて戦を終結させる形となりました。

池田恒興は信長の乳兄弟で、また森長可は父である森可成(もり よしなり)と同様
織田家の重臣でありましたのでこの二武将を打ち取った家康は当時大変に喜んだと記録に残っています。
森長可は「鬼武蔵」として大変武勇に優れた勇将で、勇ましいエピソードも数々ありますから、
ご興味あればぜひお調べください。

参考:森長可は戦国最強の『鬼』!強烈で魅力的な人生を最初から最後まで
https://yururito-sengoku.com/sengokumorinagayosi/sengokumorinagayosi1.html

小牧長久手の戦いは規模・知名度こそは関ヶ原に劣りますが、
天保年間の歴史学者頼山陽の『日本外史』には「公(家康)の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」
との記述もあり、現地には江戸時代に建てられた石碑も数々残されているそうです。

以上が本号のメイン内容となります:)
紹介しきれなかった内容については下記に参考リンクを掲載いたしますのでご参照ください:D。
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【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

豊臣秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳の戦い」とは?|信長の次の天下人を決めた重要な戦い【日本史事件録】
https://serai.jp/hobby/1143117
悲劇のヒロインお市の方の娘「浅井三姉妹(茶々、初、江)」ー人生から伝説までを女性史大好き歴女がとことんわかりやすく解説
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織田信雄~織田信長の次男のその生
https://senjp.com/nobukatsu/

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com
歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

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