蕎麦の世界 ~東京蕎麦屋巡り~ (L茅野)

蕎麦屋巡りを始めるにあたって

蕎麦は奈良時代から栽培されていた日本古来の伝統的食料で、日本人の食文化で代表的な食べ物といえます。そして江戸時代、蕎麦切りが江戸庶民の馴染みの食べ物として胃袋満たしてきました。

蕎麦好きのライオンも多くいらっしゃるかと思いますが、僭越ながら母方の実家が蕎麦屋であることもあり、私L茅野が暇に飽かして東京の蕎麦屋を巡ります。

ご紹介できたお店、皆様もお時間のある時は是非訪れてみてはいかがでしょう。

蕎麦について

蕎麦は夏と秋に収穫できる穀物です。蕎麦の花は白く綺麗な花ですが匂いは酷いもので、苦情が来るほどです。良くもこのような匂いからあのように美味しい蕎麦が生まれるのか、実に不思議です。

蕎麦の花と実


蕎麦の実の構造

蕎麦の実は受粉した花から結実します。実はこげ茶色4層からなります

まず外側の外皮、俗にそば殻と呼ばれる部分です。枕の内材(そば殻枕)に使われたりします。普通そば殻は蕎麦には使いませんので、剝いてから挽いていきます。

殻を取った蕎麦の実(種皮 茶色~緑色)

外皮(殻)を取った実を石臼などで挽いてそば粉を作りますが、挽いていると柔らかい部分から順番に挽かれて出てきます。この順番でそば粉の種類が変わり、蕎麦の特性につながります。以下順番に解説します。

更科(一番粉)

そばの実を挽き込むと、最初に中心部分が粉になり、それを一番粉といいます。

一般的にはデンプン質が多く色が白いのが特徴で、「更科そば粉」ともいわれます。

食べた時の歯切れ、弾力に優れ、喉越しの良いそばに仕上がります。

挽きぐるみ(二番粉)

そばの実の挽き込みを続けると、胚乳部や胚芽部が粉になり、それを二番粉といいます。

二番粉は一般的に「挽きぐるみそば粉」といわれる場合があります。

そば特有の香りや風味に優れており、めんにすると食味と食感のバランスが良いそばに仕上がります。

藪(三番粉)

二番粉に続いて取れる、より外殻に近い部分から挽き出された粉を三番粉といいます。

色は濃く、タンパク質も多いそば粉で、一般的に「藪(又は藪粉)」といわれます。

そばの香りや風味が強く、主に、「田舎そば」や「藪系」のそばに使われます。

どうですか、蕎麦屋の屋号が出てくるでしょう。そうなんです、このそば粉の種類が屋号につながっているのです。近年では屋号に関わらず各そば粉の蕎麦を出していますが、各そば粉の蕎麦に合わせて汁を各店が工夫して出されます。蕎麦屋の魅力はここにあります。

どのそば粉を使い、それに合う汁や具を各店が創り出す、蕎麦屋は同じ味の店が二軒とないのです。ここまで理解すれば、あなたも蕎麦通といえるでしょう。

さあ、魅力ある蕎麦屋の世界へ繰り出しましょう。

蕎麦屋巡り 一軒目

室町 砂場

一軒目は江戸蕎麦御三家の「室町 砂場」

神田駅に近くビジネス街の中にある江戸時代から続く老舗の蕎麦屋

ビルにはなっているけど趣のある玄関

お昼にお邪魔しましたが、年配の方や女性の一人客で賑わっています。

暖簾をくぐれば江戸老舗の「いらしゃいー」の声掛け、店内は坪庭があり落ち着いています。

店内も広く明るい 2階は16名の宴会座敷

早速、酢の物と蕎麦搔でビールから日本酒で一杯。蕎麦掻は角桶に葉の形で供されます。汁は濃いめの辛口、良く合います。

蕎麦掻と酢の物 汁は濃いめの辛口 蕎麦みそ

続けて、油っ気を求めて 天ちら(天婦羅盛り合せ)を注文、掻き揚げ、才巻海老、野菜(大葉と舞茸)が控えめながら輝いて出てきます。

鴨・天婦羅・あぶらげ・天かす等、蕎麦には油ものが良く合います。

仕上げは二枚のせいろ、一枚は更科(一番粉)、一枚は挽きぐるみ(二番粉)。

更科は白く、もちもち感ある上品、挽きぐるみは香りと味があります。

左が「更科」 右が「挽きぐるみ」

江戸っ子もこの味を楽しんだと思うと江戸時代に思いをはせながら美味しく、楽しくそばを堪能できたひと時でした。

次回は御三家「神田 藪」に伺います。

室町 砂場

〒103-0022 東京都中央区日本橋室町4丁目1−13

営業時間: 11:30~21:00 定休日:日曜日

電話: 03-3241-4038

最後の秘境!東京藝術大学卒業・修了制作展レポ

1月28日(土)から2月2日(木)まで、東京都美術館、東京藝術大学大学美術館および本学構内にて開催された第71回 東京藝術大学卒業・修了作品展に行ってまいりました!通称、卒展と呼ばれるこの展覧会は学部や修士で学び研鑽した技術を集大成をお披露目する場でもあります。本気で制作した魂やどる作品を一望できる稀有な機会です!

その様子を今年1月から東京藝術大学のギャラリーのプロデューサーに就任したメンバーのL一ノ瀬が写真でお伝えいたします!

第71回 東京藝術大学卒業・修了制作展会場の記録写真
https://photos.app.goo.gl/bEZksSKjhM7Rkx5K8

美術学部全科が上野に一堂に会し、東京都美術館、大学美術館、そして大学構内にあるアトリエや屋外スペースを活用しながら、見応えのある展覧会が構成されてました。卒展は、学生個人の指向性と自由な意思に基づく創作を研究目的の基軸とした環境にあり、互いに切磋琢磨することで培われてきた独創的な研究成果と、芸術文化の振興に寄与する社会型創作研究活動の大きな見せ場です。コロナが本格的に終わりを迎える中がで大学にも通え、仲間たちとも普通に会える日常が戻ってきた一年を経験した世代の展示です。全体的に人のかたちをした作品が多かったのはそうした影響もあるのかもしれません。


卒展は年に一度ですが、社会に広く開かれるもうひとつのイベント藝祭にもぜひお越しください!

メンバーのL一ノ瀬がプロデューサーを務める会場案内ツアーなども今後行ってまいります。いらっしゃる際にはぜひL一ノ瀬までご連絡をされてみてください

第71回 東京藝術大学卒業・修了作品展
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2023/01/sotsuten22.html

【信長と家康、魂の同盟!】 清洲同盟の真実に迫る!

【どうする家康をどう観る!?】
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第二号。

みなさんこんにちは!
東京文化ライオンズ歴史地理研究班の鈴木慎平です。
今回も『歴史を楽しみ学ぶ団体 ヒストリンク』代表の斎藤太一さんとスペシャルコラボをしまして、ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の記事をお届けします!

前回同様、「どうする家康」のあらすじ解説&歴史事項のQ&Aについて
色々と調べてみましたので、よろしくお願いします♪

さてさて、前回のメールマガジンから四話分展開がありました。
マツジュン元康(家康)は戦の日々に戸惑いながらも着実に実力をつけていきます。
今回の四話の中で元康は今川家を離れ、織田と同盟を組みます。
かつての主家に対して妻子を人質に取られつつ厳しい戦いを強いられますが、
伊賀・甲賀の「忍びの者」の活躍もあり、鵜殿長照を打ち取り二人の息子を生け捕りにする…という展開。


瀬名を手籠めにしようとする氏真の悪役っぷりが際立ち河原での瀬名と家康の再開のシーンは熱かったですね!それではまずはあらすじの紹介から、今回のQ&Aを見ていきます。

NHK大河ドラマ公式より
あらすじ
https://www.nhk.or.jp/ieyasu/story/

【第3回「三河平定戦」】ーーーーーーーーーーーー
故郷の岡崎へ戻った松平元康は、妥当・信長を決意するが、弱小の松平軍はまったく歯が立たない。一方、今川氏真は援軍をよこさず、本多忠勝らは、織田に寝返るべきだと言い始め、駿府に瀬名を残す元康は、今川を裏切れないと悩む。そんな中、伯父の水野信元が岡崎城にある人を連れてくる。それは16年前に生き別れてた元康の母・於大だった。

【第4回「清州でどうする!」】ーーーーーーーーーー
松平元康は信長が待つ尾張・清州城へ向かった。幼きころに織田に捕らえられていた元康は、信長から再開のあいさつ代わりに相撲の相手を命ぜられる。くせ者・木下藤吉郎から盟約を結ぶ代わりに、驚くべき条件を提示される。一方、駿府に残された元康の妻・瀬名は、今川氏真から元康と離縁して、側室になれと迫られる。

【第5回「瀬名奪還作戦」】ーーーーーーーーーー
元康は、駿府に捕らえられている瀬名を取り戻そうと決意。家臣たちの反対を押し切り、イカサマ師と呼ばれ嫌われている本多正信の妙案に望みを託す。正信は、伊賀忍者の服部一党を使い奪還作戦を立てるが、頭領の服部半蔵は過去の失敗ですっかり自信を失っていて…。

【第6回「続・瀬名奪還作戦」】ーーーーーーーーーー
今川氏真は元康に対し「降伏しなければ瀬名」たちを皆殺しにする」と通達した。本多正信からは「今川家重臣を生け捕りにし、瀬名たちと人質交換する」という更なる秘策を提案され、実現困難ともいえる大胆な策だが、元康はすべてを託すことに。正信の命を受けた半蔵は難攻不落の上ノ郷城に忍び込み、やがて火の手が上がる。
その炎は成功の合図なのか、それとも…。

今回の見どころはズバリ・・・・!!
「なぜ信康は今川を裏切りそして織田についたのか!?」という点でしょう。
海道一の弓取りである今川家と新進気鋭の尾張織田家。
二つの強大な勢力の狭間で家康は何を考えどのように生きたのか。
今回はそのことにも触れながら記事を書いていきます。

【今川家を裏切るまでの経緯】
前回の復習にもなりますが、まずは信康の小さいころの話から。
信康(家康)は幼少期から今川義元の元に人質として預けられ
育てられてきました。囚われの身分といえど、
今川家お抱えの大軍師雪斎を家庭教師につけるなど
好待遇での駿府暮らし。
次期当主今川氏直に仕える忠実な家臣であり友となるべく
義元により大切に育てられました。ここまでは前回メルマガで書いたとおり。
しかしその義元は永禄3年(1560年)桶狭間の戦いでまさかの落命となり、
19歳の家康はいきなりの決断を迫られることになります。

命からがら戦地からの退却を行い地元岡崎に帰った信康は、
それでもその後の今川家を支えようと奮闘します。
駿府にいた妻子、瀬名と亀姫も桶狭間の直後に元康のもとに返されたようです。
これは今川氏直も元康のことを織田への防壁となる強力な仲間と考えていたからのようで、
この点は大河ドラマの展開と大きく異なる点です(※近年の新説とされます)
元康は後の同盟者となる織田信長を相手取り
織田の東征を阻む壁となったわけですが、
しかし今川家の諸国に対する劣勢が次第に明らかになると
破竹の勢いで攻めかかる織田家を相手とするに値する十分な援護が三河に送られなくなりました。
深刻で厳しい選択を迫られる状況の中、信康は生まれの母(於大の方)の兄である水野信元を仲介として
織田家と同盟を結ぶことになるのでした。

【信長と家康、魂の同盟!】
①清洲同盟の真実
桶狭間の戦いから事態は風雲急を告げました。
元康は西三河から東三河への領国拡大のため
信長にとっては美濃の斉藤氏への攻勢を強めるため、
両者の思惑はここに一致し、本格的な領土協定が締結されました。

これが今日に「清州同盟」として伝えられる同盟関係です。
ドラマの中では「信長・秀吉・家康」が一堂にそろい踏みするという豪華な演出がなされていましたね。
これまでの通説では永禄5年の正月に元康は清州城に向かい信長と対面で同盟を結んだ…とされていましたが、
実は『三河物語』『松平記』など戦国期に近い資料にはこのような記述がないとのことで、
(ドラマチックではあるものの)直接面会して同盟を結んだということはないようです。
永禄4年2月に和睦と領土協定が結ばれ、そして今川氏との決別することになりました。

当時は戦国の世ですから、同盟関係というのは途中で破棄されて当たり前だったようです。
しかしこの清州同盟は信長の死去(1582年)まで実に20年にも渡る継続関係となりました。
これは当時の常識から考えると異例中の異例だったようです。
そう考えてみると、清州に訪問しての同盟締結はフィクションだとしても、
信康と信長にはただならぬ関係があったのかもしれませんね。
二人が幼少期に出会っていたという大河の設定はあながち嘘ではないのかもしれません。

③忍びの話
大河第五話・六話の「瀬名奪還作戦」には大鼠や穴熊など沢山の忍びが登場しました。
鵜殿長照の守る城を攻める際にも、夜襲をかけ花火を使い派手に大捕物をするなど、
いかにもドラマ用の作劇だな…など感じられたかもしれません。
しかし攻城に忍び、夜襲、花火などの描写は史実に則った正確な描写とのことです!
これは調べてみてビックリしました。
時代考証の平山氏によれば、戦国時代の日本各地には忍びが存在して、特に三河地域では忍びの活動の記録が多いとのこと。
これらは『三河物語』の中にも記述がみられる公式の存在のようです。
ちなみに劇中で「服部半蔵は忍びではない」という話が繰り返しでてきましたが、
こちらも史実通りで、半蔵は忍びではなく彼らのまとめ役の足軽大将として活躍していた可能性があるそうです。
劇中に「半蔵様が死んだら、俺たちの妻や子に誰が銭を渡してくれるのか」というセリフがありましたね。
これは足軽大将が忍びたちの働きを記録して褒章の支給をしていたことを反映させた描写のようです。

④人質交換について
繰り返し書いてきたように、この時期瀬名姫は既に岡崎にいて、
竹千代(後の松平信康)一人が駿府に残っていたようです。
元康が今川家を裏切ったことから殺されそうになるものの、
竹千代は今川家重鎮の関口氏純の孫でもあることから命を長らえます。
そして鵜殿長照の息子二人(氏長・氏継)が元康の手に渡ったとき、
交換として岡崎に戻ってくることになりました。
このとき今川方に戻った氏長・氏継兄弟は、
今川家が滅んだあとに長く家康に仕えることになります。
弟である氏継は関ケ原の前哨戦である伏見城の戦いにて壮絶な討ち死を果たし、、
氏長は大阪の陣も超え寛永元年(1624年)76歳にて天寿を全うしました。

【締め】
如何だったでしょうか?
今回のメルマガは以上となります。
今川家からの独立や瀬名奪還の話まで
ドラマとしてかなり熱い展開になってきましたね。
「どうする家康」ではお市の方の登場の仕方もかなり衝撃的で、
まさか元康と婚姻一歩手前になるとは思いもよりませんでした!
木下藤吉郎が柴田勝家をからかった言葉も
史実を知っていると後の伏線に感じられてニヤリとするものがありましたね。

書店では原作脚本を元にした小説版にも出ておりますので、
セリフなどご興味ある方は実際にお手に取ってご確認ください♪
(NHKオンデマンドでは初回からの放送も有料視聴することができます)
https://www.nhk-ondemand.jp/

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【ヒストリーライオン、質問大募集!】
歴史や地理に興味のあるライオン同士で繋がりましょう!
本メルマガでは歴史好きにとって興味深いトピックも詳しく解説していきます。
(例:長篠の戦い、神君伊賀越え、関ケ原などは大注目!)
歴史に興味がある・これから学びを深めていきたい…といった歴史情報に注目されている方がいましたら、
ぜひメルマガの感想をいただけますと嬉しく思います♪
大河ドラマを見ていて疑問に思ったことなども、なんでも質問いただけましたら調査致します。
歴史好きな皆でぜひ交流を深めていきましょう。
よろしくお願いします♪

東京文化ライオンズクラブ 歴史研究班 鈴木慎平
歴史を楽しみ学ぶ ヒストリンク 代表 斎藤太一
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L一ノ瀬がキュレーションを務めるアートの展示が日本橋三越近辺にて開催中!

日本橋三越から徒歩2分のN11ギャラリーにて一ノ瀬Lがキュレーションを行ったアート展示が開催中です。【panoramimics】新進気鋭のアーティスト青沼底さんと山田勇魚さんによる都市の風景が感じられる展示です。

期間:2023年2月25日 (土)~ 2023年3月16日(木)
場所:N11ギャラリー (〒103-0023 東京都中央区日本橋本町1丁目2−8 1F gallery)
Artists 青沼底 ×山田勇魚
Curator 一ノ瀬健太

展示コンセプト

本展のタイトル「panoramimics」とは概観・鳥瞰的(panoramic)と擬態(mimic)を掛け合わせた造語である。アーティストの青沼と山田は景色や事象、時間そのものを作品に擬態させることを主として活動している。青沼はタンポポの綿毛を建築構造に擬態させ、都市における細胞のような建築物の儚さや、そこに建ち続けている健気さを表象する。山田は主に鯨を付喪神に擬態させ、戦争や捕鯨文化、海洋プラスチック問題といった社会課題に真摯に向き合う。両者の作品が一堂に会すれば自ずと都市と海を想起させ、フォトジェニックな地点でのパノラマ写真を彷彿とさせる景趣が立ち上がる。ふたりの作品の批評眼に押し付けがましさは一切ない。淡々と事実を眼差す視座のみが鑑賞者に共有される。青沼と山田の遊び心あふれる巧みな意匠に高貴なる偉大さと静かなる単純さを感じ取っていただければ幸いである。

[キーワード]都市、建築、鯨、捕鯨文化、海洋プラスチック、擬態、健気、儚さ、戦争、エモい、もののあはれ、ギリシア美術模倣論、ヴィンケルマン、エポケー、現象学

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