阿吽(あうん)のライオン

 

東京国立博物館のシンボル“阿吽のライオン像”(1909:表慶館)

 東京国立博物館で最も好きなアートの一つは表慶館のライオン像です。このみどりのライオンはいつも知の探訪を存分に楽しませてくれます。なぜここにこんな不思議なライオンがいるのだろう。悠然と構えていますゆえ、最近ではコロナという外敵から守ってくださいとお願いをしています。この像は厄除けもしてくださるそうです。ここへは毎年数度と訪れていますが今回は皆さんと一緒に散策してみましょう。

明治35年(1902年)、上野動物園に初めてライオンはやってきました。日本では獅子や虎は古くから日本美術の意匠として馴染みはありましたが実際には日本に生息せず想像上の生きものであったようです。現実の動物としての力強い描写の彫刻はこのライオン像が日本で初めてとなります。注目すべきは「阿吽(あうん)」です。金剛力士像や狛犬にも見られる阿吽は仏教用語の真言で「万物の始まりと終わりを象徴するもの」とされています。サンスクリット 語に由来するとのことではありますが私にはもう日本独自の文化として根付いているように思えます。平仮名の最初の「あ」と最後の「ん」も見事に連動しています。日本人の得意な対の呼吸も「あうんの呼吸」「あうんの仲」と言われ日本文化として称賛され、さらには物事を奥深いものにしています。そのようなことを考えながらこのライオンの表情をよくみるととても人懐っこい顔をしていることに気づきます。醸し出すエネルギーや表情は仁王様のそれとは全く違います。20世紀のはじめ、日本に近代化の波が押し寄せた明治の終わりの頃、西洋で学んだ製作者たちが、百獣の王ライオンをモチーフに、日本人の魂を吹き込んで、希望に満ちた新時代を迎えたかったのでしょう。

その像の製作者は日本の近代彫刻の先駆者の大熊氏廣と沼田一雅。大熊氏廣の代表作は靖国神社のあの大村益次郎像。なんと、今でも上野を見守っていると言われています。沼田一雅は日本陶彫会の創始者、その志は「内面にあるものを掴むこと(日本陶彫会H Pより)」。

当時の製作者の思いや物語が感じ取れるような気がします。きっとリバティとインテリジェンスを内に宿したライオンズの皆様には何か語りかけてくれるのではないでしょうか。上野を散策する際にはロダンや高村光太郎、荻原守部、朝倉文夫の作品巡りとともに、やはり是非、阿吽のライオンとの対話をお楽しみください。

東京文化ライオンズクラブ 通信デスク L城戸正幸

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