みなさんこんにちは! 文化ライオンズでYCE委員会に所属しているL鈴木です 。
日暮里の「谷中商店街」にあるシェアハウスで生活をしつつ
第二の地元となった台東区周辺の歴史散歩や観光ガイドをしております。
今回が始めての投稿になりますが
自身の専攻である歴史・文化地理学の観点から
日本の文化・江戸文化などを紹介していきたいと思います。
よろしくお願いします:)
本日は第一回目として上野にある「東叡山寛永寺」について
図像を交えつつ取り上げたいと思います。
寛永寺は上野動物園や博物館にも隣接し、
毎年春には満開の桜が咲き数多くの参拝客が訪れるなど
現在でも人気の観光スポットですが、
今から350年前程の江戸初期には今以上に壮大で権威のあるお寺でした。

開山は1625年(寛永二年)。
天海という徳川家康お抱えの僧侶の指示により造られたものです。
この天海、歴史好きの間では「天海=明智光秀」すらあるように
風水に通暁し政治を裏から指揮する「黒衣の宰相」のイメージが強い存在です。
しかし寛永寺の執事である浦井正明氏の著作『「上野」時空旅行』によれば
天海が寛永寺を作った理由は徳川の菩提寺(正式なお寺)ではなく
個人的でプライベートな場所とする意識が強かったそうです。
建築当時から残る建物の清水堂の建材は
通常では使われないようなヤワな木材が多数使われているとのことです。
(その後の繁栄を伝え聞いていますから、なんだか不思議に思えますね)

天海は江戸に現在でいうテーマパークのような存在を作りたく
吉野の桜を私財を投じて移植するなど地道に寺内を作り上げていったようです。
そうして始まった私的なお寺が開祖の死後に徐々に権威を持ち、
ついには徳川の菩提寺として芝の増上寺とも並び称される存在となったそう。
大江戸二百五十年の歴史ロマンを感じますね。
これも歴史ファンの間では半ば常識となっていることですが、
徳川家康は風水を意識して街づくりをしたという説がありますね。
歴史地理学者の足利建亮は94年の論文で
家康は富士山が見える土地として江戸を本拠地に選んだと主張しています。
また建築史家の内藤昌は著作『江戸と江戸城(1966)』で
風水が立地に与えた影響を具体的に記述しています。
風水では”四神相応”とされる縁起の良い場所が土地として最適で、
(東=大河、西=大路、南=平地か水辺、北=山)が当てはまると良い立地です。
江戸のどこがそれにあたるか、探してみるのも楽しいかもしれません。
家康も天海も江戸と上野をフィールドとして
それぞれ風水を意識した造りを施しているように思えます。
天海は上野に京都の景色を再現したかったようで
不忍の池を京都にとっての琵琶湖に見立て
琵琶湖の竹生島にある「宝厳寺」を模して弁天堂を作りました。
上野の清水観音堂も京都の清水寺を意識して作られたものです。
(本家ほど大きくはありませんが、ちゃんと上野版にも「舞台」がありますよね)
そんな風にして天海は単なる行楽地・景勝地として寛永寺を作っただけではなく
何らかの風水的仕掛けを施しているのではないかなと思います。

250年もの栄華を誇った徳川幕府と東叡山寛永寺ですが
幕末の戊辰戦争のクライマックスである上野戦争で
猛攻撃により焼け落ちてしまいました。
豪華絢爛を極めた寛永寺の伽藍もそのほとんどが焼失し、
国宝級だったとされる品々の大半が灰燼に帰しました。

参考に挙げた絵図(本能寺合戦之図)では燃え上がる本堂、
激戦の黒門前、戦火を辛うじて逃れる清水が確認できます。
清水観音堂はそんな上野戦争の猛火からも生き延び
在りし日の繁栄を今に伝えるモニュメントとなっています。
この図の名前は「本能寺」となっていますが、
これは明治政府からの取り締まりを逃れるために名前を変えて上野戦争を書いたということです。
寛永寺に立てこもり戦った「ラストサムライ」達の亡骸は埋葬することを許されず、何日もの間放置されました。
見かねたお寺の住職が嘆願を出し埋葬したとのことですが、それほどまでに苛烈で厳しい時代だったということですね。

…ここまで書いてきて大変長くなってしまいました。
さらなる話もありますが本日はここまでとして
続きはまたの機会にお話しさせてください。
江戸は家康の関東移封の際に基礎から大改造された土地です。
家康が来たばかりの頃の江戸城は田舎の田舎でボロボロだったといわれていて
そんな田舎の湿地帯を根本から作り変えてしまったことに徳川幕府の凄さがあります。
歴史と地理がクロスオーバーする「江戸の町造り」に関する話は今後も積極的に取り上げていきたいと思います。
次の大河は「渋沢栄一」がテーマですが
渋沢と徳川慶喜は谷中霊園(上野のすぐそば)に埋葬されていて
ここにも上野との面白い話があるようです。併せてご紹介致したいと思います。

それではご拝読いただきありがとうございました!
上野や日暮里、その他東京の街歩きをする際には
ぜひお声かけください♪
L 鈴木
文責:鈴木慎平
プロフィール:法政大学に在籍中に文学部の地理学科で歴史地理・文化地理学の面白さに触れる。
現在は日暮里の谷中商店街に住み、ご地域サークル「谷中研究所」を主宰し、
遊ぶことと学ぶことを融合させた文化的活動を地域の方と一緒に実施しています。趣味は盆踊り。
第二の地元となった台東区周辺の歴史散歩や観光ガイドをライフワークにできるよう日々奮闘中。