上野の杜ブログ 「うえの夏まつり盆踊りレポート」

7/22(土)、23(日)に上野公園・不忍池にて2023うえの夏まつり不忍夢(しのばずのゆめ)」が開催されました。

こちらは「夢を諦めない・忍ばない」を合言葉に始まった「不忍池ほとりに50年ぶりに盆踊りを復活させよう!」というプロジェクトがもとになっています。年代、性別、人種や国籍、障がいを超えて、あらゆる人が参加できる盆踊りを作る若者たちの想いからスタートしました。

コロナ禍を経て4年ぶりの開催となった盆踊りのレポートをお送りいたします。

盆踊りのBGMに合わせて地元の白梅太鼓さんの太鼓がリズミカルにマッチします

メインの盆踊り以外にも東京大学をはじめとする学生や若手パフォーマーのステージ上演、
弾き語りやバンド演奏、漫才、マジック、ペイントパフォーマンスなど夕方から行われ、会場のボルテージも常に高まった状態でした。

うえの夏まつり 不忍夢の開催概要
弾き語り演奏の様子

メインステージの周りには、地元の上野商店街を盛り上げる活動をしているNPO法人おりがみの皆さんが地元のお茶屋さんである君野園さんとコラボレーションしたお茶の販売を行っていました。読書や勉強に適した成分や味をコーディネートしたお茶の販売も行っていました。

当日はフリーマップの配布も行っておりました。
本の世界に誘い茶。上野中通り商店街の茶の君野園さんにて限定100パックで販売中です。売り切れの際はご了承ください。

当日は、うえの夏まつりが開催中ということもあり、縁日や猿回しも行われさらに賑わいを見せておりました。

第72回 うえの夏まつり 公式ウェブサイト
https://ueno.or.jp/summerfes2023/

縁日で賑わう様子

猿回しの様子
徐々に日が沈み、夜の帷がおります
水上音楽堂前の縁日の様子。ちょうど不忍池を半周する程度に続いていました。
外国の方々の多くが訪れ、日本の夏祭りを楽しむ様子が見られました。

盆踊りは、お撮り寄りから若者まで楽しめるよう
伝統曲から最近の曲までカバーがされてました。

東京音頭や炭鉱節からAKB48の「365日の紙飛行機」、YOASOBIの「夜に駆ける」など最近のJ-POPも数多くかけられました。近年では盆踊りの代名詞にもなったと言っても過言ではない、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」は会場を一際賑わせていました。

白梅太鼓演奏の様子

盆踊りのあとは締めくくりのパレードです。多くの方が参加され、長蛇の列になりました。

上野お囃子保存会が先頭を歩きます

不忍池を半周するパレードは盆踊りを舞いながらゆっくりと進みます。先頭を上野お囃子保存会が導きます。白梅太鼓同様、上野らしい独自なパレードです。

福が多くの方に授けます
大迫力の獅子舞!
東京文化LCメンバーのL鈴木も大活躍!

パレードは、大きく半周したあと踵を返し、再度元のメインステージまで戻りました。盆踊りパレードは老若男女が和気藹々と楽しむ中、フィナーレを迎えました。

若者たちの熱い情熱が感じられた不忍夢。私たちは心のどこかで夢を諦めていたり、夢に向か事を躊躇してしまうことが多々あります。夢を忍ばないこと、夢に向かって実現に歩むこと、改めて若者たちから勇気のようなものをもらった盆踊りでした。

烈士暮年、壮心巳まず。

私たちの夏の夢も、まだまだ終わっていません!

レポーター
東京文化LC 一ノ瀬健太

東京蕎麦屋巡り 三軒目

東京文化LCのL茅野です。連日の猛暑、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

蕎麦巡りが趣味で食べ歩いていております。蕎麦巡りも三軒目となりました。本日ご紹介するのは、ここ。

御三家から離れて番外編「神田 藪蕎麦」からほど近い「まつや」です。

ここは、根強い人気の庶民派蕎麦屋です。

淡路町駅から徒歩2分 靖国通りに面したビジネス街の中にある江戸時代の蔦屋の流れをくむ老舗の蕎麦屋です。

神田オフィス街のビル囲まれながらも立派な店構え

実はこの界隈、江戸時代から賑わいのある地です。特に大正時代は中央線の始発駅「万世橋駅」があり、藪蕎麦界隈は大変な賑わいでした。私も上野の生まれ育ちですので良く都電に乗って万世橋駅跡にあった交通博物館に遊びに来ていました。この辺は改めてご紹介しましょう。

店内は入ってすぐの大きな空間、古い柱時計や蕎麦こね鉢が歴史を感じます。

御三家と比べると庶民的なお店です。お昼時の訪問ですが、お店は近隣のサラリーマンや常連と思わしきシニアが熱燗で一杯といった人達で混雑していました。

古い柱時計 こね鉢

テーブルに着き早速、わさびいも、蕎麦みそとじゃこ天で一杯です。

蕎麦みそもじゃこ天も美味しく熱燗に良く合います。

特にこのじゃこ天は本当に美味しい、常連さんが良く注文しています。

それと、蕎麦みそはお持ち帰り用に販売もしています。

じゃこ天 わさびいも 蕎麦みそ

続いて蕎麦掻を注文、塗りの桶に葉型の蕎麦搔なかなかおしゃれです

塗りの桶に美味しそうな蕎麦掻

仕上げは天南蛮そばです。

蕎麦屋で南蛮と言えば長めに切ったネギを言います。皆さんは知らなかったでしょう?

実は私も知らずまつやの店員さんに教えてもらいました。

小さめの海老天と長ネギ、蕎麦はその日に店内で打つ二八蕎麦、打ち立て茹でたてにこだわっています。つゆはコクのあり蕎麦ともマッチします。

蕎麦は天ぷらや鴨など油と良く合います。まつやの天ぷらは蕎麦とも相性が良く、天ぷら蕎麦の大きな海老よりもこちらの天ぷらの方が私としては好みでした。

次回は一回スキップした御三家「永坂更科」に伺います。

神田まつや

電 話 : 03-3251-1556

住 所 : 〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-13

営業時間: 11:00~20:00(月~金)11:00~19:00(土・祝)

定休日 : 日曜日(祝祭日は営業)

URL    : http://kanda-matsuya.jp/

東京文化ライオンズクラブ
L茅野雅弘

不忍池で忍ばなかった私の夢

7/22(土)23(日)
「2023うえの夏まつり不忍夢(しのばずのゆめ)」が開催されました!

こちらは
「夢を諦めない・忍ばない」を合言葉に始まった
「不忍池ほとりに50年ぶりに盆踊りを復活させよう!」というプロジェクトです。
年代、性別、人種や国籍、障がいを超えて、あらゆる人が参加できる盆踊りを作り
温故知新を意識しながら次の世代・次の社会へ
魅力的な文化体験を競創していこうという思いがあります。
2019年の第一回開催で大好評を得ましたが間にコロナの期間が挟まってしまい…
今回が満を持しての四年ぶりの開催となりました!

「不忍夢」では「夢を持った若者が活躍できる場所」をコンセプトに、
盆踊りだけではなく学生や若手のステージパフォーマンスを行いました。
弾き語りやバンド演奏、漫才、マジック、ペイントパフォーマンスや
湯島の白梅太鼓さんによる伝統的な太鼓パフォーマンスなどなど、
日中から夜にかけて非常に熱気あるステージ編成でした!

文化ライオンズの若手メンバーとしては全体の企画・指揮として深澤L、
愛知県岡崎市の名産品を扱った屋台企画として下谷L、
盆踊りの司会と振り付け担当にL鈴木が参画しました:D

当日には上野のまちの皆さんや盆踊り好きの方々、
文化ライオンズの先輩方にも来て頂きまして、
学生や町が一丸となりお祭りを共に創り、喜びを分かち合う場となりました!

不忍夢盆踊りでは
沢山の方に盆踊りの楽しさを伝えられるように
振り付けをみんなで唱えながら踊ります。
これは初めて盆踊りに参加する人でも遠慮なく輪に入ってもらうための工夫です。

上野には外国の方も沢山来られますから
英語による解説も頑張ります。
二日目には現地の反応を確かめつつ、
英語‐日本語併記の「盆踊り文化解説プリント」も作りました。
体験としての盆踊りと文化を味わうための盆踊り。
両面から盆踊り文化を楽しんでもらうために、
コロナ期間中の「ZOOM盆踊り」開催から学んだ工夫を今年に継承しました!

不忍夢の選曲では、若い人に盆踊りの良さを体感してほしいという願いから
最近の曲や意外な曲も踊ります。
東京音頭や炭鉱節などの古典的な曲を抑えつつも、
AKB48の「365日の紙飛行機」や荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」
そしてYOASOBIの「夜に駆ける」などなど、
知らない人には「え、そんな最近の曲でも踊るの!?」という
驚きと意外な楽しさを喜んで貰えました:D


中には「ハム太郎とっとこうた」という他の会場では流れていない一曲も。
こちらは日本のオタク文化を外国に紹介する形にもなり、
外国から来られた方から思わぬお褒めの言葉も頂きました:)

メルマガ編集部の活躍という点では、
「どうした家康・なにした家康」を一緒に連載している
ヒストリンクの皆とも協力し、歴史屋台を二日間とも出店しました。
こちらでは日本史に関する展示を行いながら、岡崎の八丁味噌や
「二兎」「家康」などの岡崎ご当地のお酒も提供しました。

また22日にはナビゲーターとして「音の日本史」(山川出版)の執筆経験もある寺尾隆雄先生に来てもらい、
上野不忍池の歴史を知る街歩きも同時開催しました。
こちらも好評で、夏祭りのことを知らなかった方にも盆踊りに参加してもらう好影響があり、
来年度もぜひコラボレーションを果たせればと考えております!

そのほか、岡崎の「えびすくい音頭」という曲を踊りました。
こちらはNHK大河『どうする家康』の中に登場する曲で
「QURUWA夏祭り、岡崎城下家康公夏まつり実行委員会」の皆様が制作した振り付けを
おそらく関東では最速で実施させていただいた形です。
思わぬコラボレーションにSNSで感激のお言葉をいただき、
岡崎の方とも「歴史・家康コラボレーション」がますます盛んになりつつあります:)

前回開催させていただいた上野アートウォーク。次回開催の際にはまた告知させていただきます。

また以前メールマガジンでも紹介させていただいた
「歴史教育カードゲームHI!SROTY」のみなさんも屋台に参加していただきましたが
実は彼らはこの夏岡崎市にて「岡崎公園街歩き×カードゲーム配布企画」を行うことになっています(8/11-8/13)

このように東京文化ライオンズをきっかけとして始まった交流が
いよいよ地域を超え実りのときを迎えつつあります。
今回の不忍夢盆踊りの大盛況も2019年の初回と、2020、2021年のZOOM盆踊りによる蓄積があったからこそ結実したものと感じます。
ライオンズの諸先輩方の力強いご声援とご理解があるからこそ文化を受け継ぎ新しく作るという若者の動きができているのだと痛感します。


若者の勢いはときに野蛮で無計画で、何も成果を得られないかのように思える時があると思います。
しかしこのように、長いスパンでとらえてあたたかな愛情とご声援をいただいたならば
かならずや新時代の芽吹きとして応援いただいた皆様の期待に応えていくのではないかな…と実感しております。
今回の盛り上がりを来年以降も、さらにパワーアップして繋いでいきますので、
どうぞ応援よろしくお願いします!

本年のうえの夏祭り不忍夢をご声援いただき、本当にありがとうございました!

東京文化ライオンズクラブ
L鈴木慎平(盆踊りDJ鈴木)

追記

室町時代や江戸時代を知ってる外国人の方が、三河武士を1杯買ってくださり、歴史コンテンツの魅力は海を超えることを実感しました!

えびすくい音頭では、おそらく100人以上はいるであろう来場者が踊り回る光景が圧巻でした✨✨

ヒストリンクとしても、東京や岡崎をはじめ歴史を通したまちおこしをさらに推進してまいります☆

ヒストリンク代表 齊藤太一

【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com
歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

「どうした家康、なにした家康」番外編 〜『今日は一日和文化三昧!』〜

皆様こんにちは!
東京文化ライオンズ歴史研究班の鈴木慎平です:)
毎月恒例の、文化ライオンズ×ヒストリンクコラボ企画の
歴獅子「どうした家康、なにした家康」のコーナーです。

大河ドラマ『どうする家康』では徳川VS武田編がクライマックスを迎え
有村架純が演じている瀬名姫(築山殿)も素晴らしい覚醒を果たし
来週はその結末がどうなってしまうのか…非常に面白い展開を迎えているところですが、
今回は一拍おきまして、番外編を書かせて頂きます。

実は先日6/25(日)に東京平井にて
『今日は一日和文化三昧!』というイベントが行われまして、今回はこちらのイベントのレポートを書きたいと思います。

【第一部レポート:今日は一日和文化三昧!~和装から大河ドラマまで~】前編。

ときは令和五年。
6/25(日)の14時~18:30にかけて。
東京にあります「平井オープンボックス」というイベントスペースにて
『今日は一日和文化三昧!』というイベントが開かれました。

こちらのイベントは二部構成でして、
第一部では
歴史教科書の出版で有名な山川出版社からも『音の日本史』など
複数の著作を出されている寺尾隆雄先生による享保の改革の講座を二時間。
そして第二部では
和文化好きな複数の人々が集まり、
大河ドラマ『どうする家康』の前半戦を振り返りながら
岡崎名産の八丁味噌と名酒「二兎」を楽しみつつ交流するという
和文化体験イベントを二時間半の構成でした。

第一部で講師を務めていただいた寺尾隆雄先生は
日本史と地理を融合させた新しい形の教育実践を率先して行われている
教育のスペシャリストです。
42年間日本史教師を務められたあと
全国地理教育学会幹事、東京私立中学高等学校地理教育研究会幹事、
NPO法人日本郷土かるた協会理事、クラブツーリズム「もう一度学びなおす日本史」講師などなど、
さまざまな媒体での活動を世代を超えた範囲で
行われています。

寺尾先生とヒストリンクでは、毎月「徳川家を楽しむ会」として
座学講義と都内の歴史散歩を学生から社会人まで幅広い層を対象として
合同で実践しております。

今回の平井企画もヒストリンク(徳川家を楽しむ会)が主催したもので、

第一部の寺尾先生の講義は
「享保の改革~暴れん坊将軍の実像に迫る!後編~」と称しまして、
授業では教わらないようなユニークなエピソードを交えてご紹介いただきました。
例えば、
・吉宗は紀州藩の四男坊。本来は将軍になれるような存在ではなかったのに、なぜ将軍になれたのでしょう?
(答:藩主となるはずだった兄弟が次々に疑惑の”病死”を遂げ、そこに7代将軍徳川家継の不幸も重なったため)

・なぜ徳川吉宗は「桜の木」を江戸市中に植えさせたのでしょう?
(答:桜の木を堤防に植えることで人々が花見に訪れ堤防の土が踏み固まる。これが洪水防止の護岸工事に大変役立ったため)
などなど、普通の授業では聴けない面白くて役に立つエピソード満載の講座でした!

また今回は愛知の味噌会社「カクキュー」さんからお味噌とパンフレットの提供を受けており、
そちらと関連させて名古屋尾張藩7代藩主で、「暴れん坊将軍」では吉宗のライバルとして描かれる徳川宗春の実像も解説していただきました!

吉宗は米将軍とも呼ばれ「質素倹約」を尊ぶ士道の人でしたが、宗春は庶民の消費を喚起して経済を刺激する積極的な政策を取り名古屋の煌びやかな気風を育てた人とも言えるそうです。
その他、ブラタモリで取り上げられた名古屋の街は徳川家康が作った街であること、
作る際には織田信長でお馴染みの「清洲」から町そのものを丸ごと移転させたことなどで盛り上がりつつ、第一部が大盛況のなかで終わりました:D


なお第一部には中国から来られたモンゴル系の女性の方も聴講に来てくださり、
ホワイトボードも使った同時通訳を行いながらの授業となり、思わぬ国際交流の機会とありました!

第一部で使われた資料に関して、ご連絡いただければお送りしますので、
ご希望の方はどうぞご連絡ください:)

【第二部レポート:今日は一日和文化三昧!~和装から大河ドラマまで~】後編。

後半戦では打って変わって、体験型アクティビティが中心となる内容でした!

まずは、大河ドラマ前半戦の振り返り企画。
私たち文化ライオンズの歴史探究班とヒストリンクでは現在、岡崎市の方々と大河ドラマ応援のオンラインコミュニティを運営しておりますが、
そちらの資料をもとに大河ドラマ「どうする家康」の前半戦振り返りを行いました!

各話のあらすじを読みながら「こんな展開あったねぇ、実はここは民間伝承からとったエピソードで、ここは最近の学説からきた話なんだよ」などなど、
歴史好きの観点からのマニアックな話題で盛り上がりました:D

そして次に家康クイズ!
ヒストリンクの四人が四天王となり、家康に関するマニアックなクイズを出題。
その正解者には名古屋名物のういろうを差し上げて、かつご本人の活動紹介タイムを設けました。
「徳川家を愛でる会」も称する我々ですのでクイズは敢えて難しい問題を出させていただきましたが、
それにも屈せず奇問に答えてくださった参加者の皆様。

・大坂冬の陣の講和条約は?
・それは三河一向一揆と似てる部分があったがそれはどういうところ?
・家康にゆかりのある「松平郷」は現在の何市?
・「鳴くまで待った」家康は75歳まで長生きしましたが、生年はいつ?

↑みなさんはいくつ答えられるでしょうか?😉

参加された方々は和文化に造詣の深い方が多く、
個人で味噌を造られている方や、上野で落語をされている若手落語家、「囲碁アート」として碁をテーマにイラストを描かれているアーティスト様など、
皆様風変わりで、でもとても素晴らしい活動をされている方達でした:)

最近の僕たちの活動は
寺尾先生の住まれている場所とも近い東京練馬区の「江古田」という町でのボランティア寺子屋や町内のゴミ拾い活動にまで広がってきております。
江古田という町には三つの大学が存在し、
・武蔵大学
・日大芸術学部
・武蔵野音大
の三大学の学生が入り混じって
「町×学生」で未来の社会のあり方を模索しよう!という流れも起こりつつあります。
今回の和文化交流会にも武蔵大学の学生さんが三人きてくれて、
後半の交流会では7/2(日)に行われる
「江古田コスプレごみ拾い&盆踊り」
そして11月に行われる
「江古田まちの芸術祭&武蔵大盆踊りin文化祭」の紹介もしました。
こちらも夏〜秋にかけて街ぐるみでの大規模な取り組みとなりますので、
またメルマガにてご紹介させてください!

楽しかった平井の和文化交流会。
最後は、今年7/17(祝月)に中野で行われる「ギネス記録に挑戦しよう!中野で東京音頭」の話題になりました。
こちら、普段から懇意にさせていただいている盆踊り界のインフルエンサー鳳蝶美成(あげはびじょう)先生の企画でして、
昨年コロナで中止になったものに再チャレンジするものです。
7/17にもステージに登る踊り手の方が来てくださっていましたので、会の締めとしてみんなで輪になり東京音頭を踊りました!

ライブ配信も含めて25人の皆様と盛り上がった今回の企画は、夏〜秋を経てさらに盛り上がりを見せることを確信しております。
上野では7/22,7/23に不忍池ほとりで「不忍夢」という盆踊り大会を行いますが、
実はこちらには私たちライオンズ若手陣も企画参加させていただきます:)
私鈴木はなんと盆踊り企画担当。精一杯頑張らせていただきますので、どうぞよろしくお願いします!

長くなりましたが、これにて今回のレポートの締めになります。盆踊りの日程としましては、
7/2(日)江古田コスプレごみひろい&町内の盆踊り
7/17(月)中野でギネス記録に挑戦「東京音頭」
7/22,23(土日)東京上野で「不忍夢」←ライオンズメンバーも参加!
(※22日は寺尾先生の上野街歩き案内企画あり。ご規模の方はご連絡ください♪)

これらがありますので、ご興味ご予定合いましたら、ぜひぜひご参加ください!
一緒に日本の夏をエンジョイしつつ、日本を盛り上げていきましょう!

以上、歴獅子企画番外編、平井和文化体験会レポート記事でした!


【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

クリエイター・企業・地域をつなげるコミュニティスペース 「平井オープンボックス」オープンのお知らせ
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000058.000024976.html

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com
歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

花金の上野

花の金曜、夜の上野…

上野御徒町中央通りアーケード入り口。上野駅にほぼ直結のこの通りにサラリーマンの方々がなだれ込んできます。コロナも終わり、本格的に賑わう様子は人混みで通れませんでした。まるで縁日の中、お祭りの狭い参道を歩いているかのようです。

上野といえば公園や動物園、他にも文化芸術のまちといったイメージが強いですが隣接する商店街エリアもとても魅力的でディープです。呑兵衛たちが路上の風に涼をとりながらたむろすむ様は見ていて心地がいいです。ここでは老若男女が皆、それぞれの居心地のいい時間を過ごしています。

今回は夜の文化、ナイトライフをご紹介します。かくいう私も今日はせんべろ体験をしてみます。場所はこちら立ち飲みたきおかさん。線路沿いを歩けば簡単に見つかります。

1階は満席だったので、2階席へ。クーラーが効いた中、ビールを傾けました。ポテサラと枝豆と瓶ビール2本の軽めの酒席でした。時々頭上を通過する電車の音と振動がアメ横感を増強してくれます。この雰囲気!これぞまさに、上野のナイトカルチャーです。芸術談義にも花が咲きました。

高級な絵画鑑賞の後に、せんべろのまちに繰り出す雑居性。これこそが、このまちの最上の快楽であり、醍醐味だと思います!

上野で芸術鑑賞の後は、ぜひまちへ!

L一ノ瀬

私が、上野でしたい事

みなさん、こんにちは2023年1月より九州は福岡の『福岡那の津ライオンズクラブ』から移籍入会しました。L池本です。今回コラムを担当させていただけるという事で張り切ってます。

私の職業は芸能人です。芸能人というと派手なイメージがあるかと思われますが、ラジオとか声優とか、裏方もやっています。ディレクターとかプロデューサーとかあと内緒にしていましたが、モデルもしています。もちろんおじさんモデルです。一緒にランウエイを歩きたい方はご一報ください。そんな私がなぜ、東京文化ライオンズクラブに移籍したかといと、やはり芸能の都は東京かなと思いまして、5年前から東京に進出してきました。会社は声優事務所をやっています。10年前に会社の社員が社長、『今声優がブームですよ』という言葉からあれよあれよの東京進出です。いかんせん福岡の田舎者なものなので、初めは東京にびびってしまって・・・。もう東京福岡の行ったり来たりの生活を5年続けています。『社長・・東京はもうかりまっせ・・』という言葉を信じで東京でぼちぼち商売しております。

私がしている声優事務所というのは、アニメというイメージだと思いますが、巷で声優事務所していますという話になると、〇〇のアニメが好きとか、〇〇の声優さんが好きという話に良くなりますが、私は、日本の声優事務所の社長に中で間違いなくアニメに興味がない社長です。アニメに興味がない人間でも声優事務所の社長になれるという壮大な実験中です。おそらくこのコラムは身内の方しか読んでいないと思われ、大胆発言しましたが、くれぐれもネットで拡散しないでください。炎上はしたくない。僕は職権乱用はしません。すみません取り乱しました・・・。

前置きが長くなりましたが、私がお話したいのは、映画についてのお話です。私は20代の時ラジオパーソナリティになりたくて学校に通い、30歳で念願のラジオデビューをしました。学校に通いながら気づいたんです・・自分は凡人だと・・何か得意な分野を探そうと、突然映画に詳しい人になろうと映画を見まくりました。

そして、映画館でバイトをはじめました。映画を勉強する事で映画について喋れるパーソナリティとしてデビューできました。そんな時、とある映画祭から審査員の大役を仰せつかる事になりました。映画祭の審査員とは名ばかりで、全国から送られてくる自主映画をひたすら見て採点するという過酷な現実でしが、大役をこなし映画祭に触れて感じて映画祭を開催したいという思いが募りました。

そして、前振りが長くなりましたが、私が、上野でしたい事は映画祭を上野の街で開催する事です。個人で会社でもできない事はないと思いますが、私は、東京の上野という街が好きです。地域の活性化として私の好きな上野で東京文化ライオンズクラブの仲間と立ち上げたい!そして、若者達にこの映画祭という文化を引き継ぎたいと思っています。

拝読ありがとうございました。

L池本

結成5周年記念大会チャーターナイト開催報告

学生団体おりがみとNPO法人おりがみと東京文化ライオンズクラブの調印式の様子

#東京文化ライオンズクラブ は5月24日に結成5周年記念大会チャーターナイトを開催しました。支部とレオクラブの設立が発表され、学生団体おりがみとNPO法人おりがみとの提携調印式を行いました。

当日は、細川元地区ガバナーとグランドフィルハーモニック東京による室内楽も演奏されました。

細川元地区ガバナーによるチェロ演奏

表彰される中嶋大会会長と茅野大会実行委員長

振替例会クラブ紹介の様子、写真は東京浅草飛翔ライオンズクラブ

二部の懇親会では、グランドフィルハーモニック東京の生演奏の元、磯崎Lによるコラボのパフォーマンスが披露されました

磯崎Lによるパフォーマンスショー
会場は東京都美術館の精養軒

ライオンズ・ロアー

また会う日まで

おかげ様で東京文化LCは結成5周年を迎えることができました。引き続き、東京文化らしい芸術を通じた社会貢献を続けてまいります。

ありがとうございました!

上野の杜ブログ 「6年ぶり!五條天神社本社御輿渡御」

上野中通り商店街を渡御する様子

コロナ禍を経て、お祭りがまちに帰ってきました。東京文化ライオンズクラブの活動拠点のひとつである上野界隈では五條天神社の例大祭が開催されました。

実に6年ぶりの本社神輿の渡御でした。白馬や巫女舞など見所がたくさんの鳳輦の行列がまちを練り歩きました。

普段歩いているまちの中を千貫神輿が渡御する感覚はとても不思議でした!

宮出しの様子

高揚感で胸が高鳴ります。

商店街を渡御する御神輿に道ゆく人たちが写メを撮ります

宮入りの様子

最後のフィナーレである宮入り、本社神輿を先導してしらたちが歩きます

宮入りの最後はおしくらまんじゅうのように人の熱気で溢れておりました。

最後に御輿を掲げる、”さし”はまさに祭りのクライマックス!!!

江戸っ子たちが多く、すぐにはける様がとても粋でした。

祭りが終わって日常が戻ってきましたが、今も私の肩はとても痛いです。名誉の勲章というのでしょうか。心地いい痛みと日々戯れています。

とても貴重な体験をさせていただきました。

L一ノ瀬

ヒストリンクは何をしているの?

ヒストリンクが企画協力し、岡崎の歴史ファンが集うどうする岡崎家臣団のチラシ画像

歴史研究者とのマッチングサービス・ヒストリンク代表の齊藤太一です。東京文化ライオンズクラブとコラボレーションさせていただきなら、歴史を通じ岡崎市の魅力をアピールする活動をしております。

ヒストリンクでは、岡崎市などが行なっている歴史ファンコミュニティ「どうする岡崎家臣団」の企画協力、岡崎大河ドラマ館応援隊の隊員候補の紹介などを行なっております。

直近では、歴史カードゲーム・ハイストリーと岡崎市をマッチングさせたり、地元の食品メーカーとコンタクトを取ったりと「歴史で地域を活性化」に関わっております。
秋には、ドイツへの遠征も検討しております!

どうする岡崎家臣団は群馬県太田市の菓子店でも、PRされている

大河ドラマ「どうする家康」の波に合わせて、岡崎市で行われる各種歴史講演会やツアー企画への講師紹介・派遣も予定しており、河合敦氏(歴史作家、NHK「歴史探偵」など出演)、大石泰史氏(歴史研究者、「どうする家康」古文書考証)などヒストリンクに協力している方々を繋いでおります。

昨年末に歴史イベントで岡崎市とのつながりができてから、続々と企画が立ち上がりました。
今後は岡崎市をヒストリンクの活動・事業のモデルケースとし、ライオンズクラブはじめ各団体や企業、自治体との連携による歴史まちおこしを加速させて参ります!

大河ドラマ館応援隊の河合敦氏による講演会。家康の人気も高まっている

歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

『どうした家康・なにした家康』人生最大の危機!「焼きみそ・食い逃げ・しかみ像」

皆さんこんにちは!


東京文化ライオンズクラブと歴史探求団体「ヒストリンク」のコラボレーション企画
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第五号を配信いたします:)

前回のメルマガでは
金平糖の逸話や今川氏真のその後などをテーマにしました。
今号では徳川家康人生最大の危機である「三方ヶ原の戦い」の背景説明と、
あの有名な「焼きみそ・食い逃げ・しかみ像」周辺のエピソードについての解説をします!
また、時期は前後しますが大河では尺の関係ですっ飛ばされてしまった「姉川の戦い」についても補足を。
信長の義兄弟であった浅井長政はなぜ突如裏切ったのか?その解説を致します。
というわけで今号の内容は

【今回のコンテンツ】
①ややこしくて分かりにくい…!?大河ですっ飛ばされた姉川の戦いについて!
②家康がボロ負けした三方ヶ原の戦いについて
最後の部分で
③ライオンズ×歴史団体ヒストリンクのコラボレーション企画の進捗共有
を致します!よろしくお願いします♪


【①ややこしくて分かりにくい…!?大河ですっ飛ばされた姉川の戦いについて!】

姉川の戦いは1570年(元亀元年)6月に起こった戦いで
織田信長、徳川家康の同盟軍が
浅井長政、朝倉義景の両軍と戦った戦です。
大河ドラマ劇中では松潤家康が信長か長政かどちらにつくかで「どうする!?」状態になっていましたが、
(※関ヶ原の伏線になる・・・!?”問い鉄砲”もされていましたね!)
実はこの戦は信長にとっても、また敵方である長政にとっても悩ましいものでありました。

○信長と長政は義兄弟。兄と弟の関係でした
そもそも信長と浅井長政は義兄弟の関係にありました。
信長が美濃の斉藤氏を攻略をする際に近隣の有力者である浅井氏と同盟を組み、
挟撃して斉藤氏を倒そうという魂胆のもとの政略結婚を画策。
そのときにお市の方(信長の妹)が長政のもとに嫁いでいたのでした。
ですから長政は信長にとっての義弟でありますし、信長にとっては彼を絶対に裏切ることのない存在だと考えていました。

しかしながらそうはなりませんでした。
実は、浅井家と朝倉家は信長よりもずっと以前からの同盟関係。
信長と長政が同盟を組む際の条件に
「朝倉家との不戦の誓い」を盛り込んでいたくらいでした。
しかしどういうわけか信長は、この条件を反故にして朝倉氏を攻めてしまったのです。
この時期の信長は足利将軍家の威光を背景に天下に対して号令をかけ始めていましたが、
朝倉義景がこれに呼応せず上洛しなかったのを口実として朝倉の本拠である越前へ侵攻したのでした。

義兄への忠義か、先祖代々の同盟関係への義を立てるか。
長政は二つのジレンマの間で悩みに悩み抜きました。
そして…

元亀元年四月。
信長が朝倉義景の金ケ崎城を攻めている最中に
浅井長政、覚悟の裏切り。

これが全くの想定外であった信長は仰天し、
退路を断たれた絶体絶命の中で、
秀吉と明智光秀に殿(しんがり)をまかせ
命からがらの退却を行ったのでした。

(これが世にいう”金ケ崎の退き口”であり、大河ドラマでは第14話にあたります)
(※家康がこのときにドラマのように殿を勤めたかどうかは記録がなく不明。大河の創作と言えましょう)

本拠に帰り体制を整えた信長は家康と共に浅井・朝倉軍を攻め、
元亀元年六月、これが姉川の戦いになります。
浅井・朝倉方が2万1000に織田・徳川方が3万4000とも呼ばれる大激戦で
今でも現地には「血原」や「血川橋」といった地名が残るそうです。

徳川四天王である榊原康政による側面攻撃などで
この戦いに快勝した信長・家康連合軍は
じわじわ浅井・朝倉の勢力を切り取り、
数年の後にこれを滅ぼすことになるのでした。天正元年、三方ヶ原の戦いの翌年のことであります。
浅井・朝倉の滅亡により、信長の畿内における一強体制が揺るぎないものとなります。
後世の創作ではありますが、『浅井三代記』には義景・長政・長政の父の三名の頭蓋骨で
信長が正月の祝いを行ったとすら書かれていますから、信長にとってその喜びはひとしおだったのでしょう。

一方で浅井長政の、天下を取らんとする義理の兄を裏切ってまで殉じた朝倉氏への恩義の深さにも
どこか感じ入ってしまうものがあります。
天下の情勢に流されるか、義を果たすべきか。
大きな葛藤の中に果てた長政の思いもまた顧みられるべきといえます。

(大河の中でも松潤家康が最後の最後までどちらにつこうか悩むくらいの好男子として描かれていましたね)
長政役の大貫勇輔さんの好演、見事でした!


【②家康がボロ負けした三方ヶ原の戦いについて解説!】

姉川の戦いについて長く書きすぎてしまいました汗
こちら、三方ヶ原の戦いもとても有名な戦いで、「しかみ像」や「馬上の味噌」の逸話などがありますね。
戯画的に面白いエピソードもある中で、しかし戦いの背景や結果など細かな観点から見てみるのも
中々味わい深い戦いと言えます。ここからは大河での描写も眺めつつ、史実に基づいて戦いを概観してみましょう!

三方ヶ原の戦いは
1573年(元亀三年)甲斐国守護武田信玄と三河守(みかわのかみ)徳川家康との間で起こった戦いです。

この戦いの原因は、当時滅亡寸前にあった今川家の所領をどのように扱うかの認識の齟齬にあります。
家康は西から遠江を、信玄は北から駿河を攻める形で今川領土を侵略していったのですが、
その際の境界線を「互いに切り取り次第」として曖昧にしか決めていなかったことから問題が生じてしまったのです。

一般にこの戦いは家康が武田軍の奇策、浜松城の素通りに引っかかり
多くの戦死者を出して潰走した…とされています。
現に大河で描かれたように夏目吉信や本多忠真を筆頭に数多くの味方を戦死させてしまいましたが、
しかし、家康も単純に罠に引っかかったのではなく、
その裏には事情もあったようです。
たとえば本郷和人『徳川家康という人』(河出新書)には、
「家康は信長から佐久間信盛・水野信元など複数の援軍を預かっていたため、場内に籠城を続けることはメンツ的に許されなかった」
という趣旨の記述があります。

氏によれば、城門を開け打ってでて、少しの間打ち合って退却する手筈が、
血気盛んな三河武士があまりに前に出て結果としてそのような罠に引っかかる構図になってしまったということです。
罠であるかもしれないと思いつつも政治事情で踏み込まなくてはいけなかった立場を想像すると、
なんだか複雑な心境になってしまいます。
結果として人生最大の敗戦となりましたから家康は内心忸怩たるものだったでしょう。

大河の中では本多忠真(本田忠勝の叔父)や夏目吉信
の壮絶な最後が描かれ多くの人の涙を誘いました。

夏目吉信といえば、松潤家康がいつまでも本名を覚えられず間違い続けたコメディタッチな演出がありますが、
こちら史実とは言わないまでも元となったネタがあります。
というのも、夏目吉信という名前は歴史の資料には確認されず、
一次資料に出てくるのはいつも「夏目広次」の名前なのです。
これはあたかも徳川家武将の真田信繁が真田幸村の通名で有名であるかのような不思議で、
この実名と通名の違いを巧みに活かしたのが今回の大河のエピソードだったわけです。

【参考①】
「どうする家康」ネット号泣 だから夏目広次の名前を間違えた…初回からの伏線に甲本雅裕も衝撃「マジか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/067db12fd0ff2519b42d2694ed713ef9ebd21a90

そのほか、三方ヶ原の戦いには数多くのエピソードがありますが、
書ききれませんのでダイジェスト的にいくつか挙げます。

・酒井忠次の「酒井の太鼓」は愛知県岡崎公園にも石像があるくらいに有名な話だが、
こちらは三国志の諸葛孔明のエピソードから借りた創作である。

・家康の自画像で有名なものに「しかみ像」と呼ばれるものがあり、三方ヶ原の敗戦を痛恨に思い部下に描かせたとされていたが、
この説は誤りで、これは昭和11年に徳川美術館初代館長の徳川義親氏が話したリップサービスが由来。

【参考②】
徳川家康「しかみ像」は慢心の戒めに描かせたのではなかった? 三方ケ原の負け戦(いくさ)とは無関係とする新説
https://www.tokyo-np.co.jp/article/152335

などなど。
さらに挙げるなら、
「勇猛な三河武士は斃れるときも後ろを向かず敵を正面から見据える形で倒れていた」
「家康はあまりの恐怖に馬上で粗相をし、部下にそれを指摘されると”これは味噌じゃ”と返答した」
なども有名ですね!

”馬上の粗相”の話は三方ヶ原を語る上で絶対に外せないエピソードですが、
松潤家康とのイメージのギャップがありましたから、こちらどのように作劇するのかな?と思っていましたが、
なるほど大河19話「お手付きしてどうする」にて上手に処理されていましたね。
つまりはこれを「心無い市井の噂話の一つ」として表現したのです。
しかもそれを吹聴している中に「茶屋の老婆」の姿もあり、
こちらも有名な「食い逃げした家康を追いかけて代金を払わせた」という「小豆餅の銭取婆」の逸話を
上手に取り込んでいます。

大河ドラマには進行上の尺の関係や役者イメージなど様々な制約があるといわれていますが、
そのような条件の中でも既存の説と新説をうまく融合させて表現していく。
「ALWAYS三丁目の夕日」でも有名な古沢良太氏が今回の大河の脚本ですが、
その腕前には毎度唸らされてしまいます。

六月に入ると大河も折り返し地点となりますが、
後半戦もますます大河からは目が離せません!今後もヒストリーライオン「どうした家康、なにした家康」をよろしくお願いします♪

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ヒストリンクでは、岡崎市などが行なっている歴史ファンコミュニティ「どうする岡崎家臣団」の企画協力、岡崎大河ドラマ館応援隊の隊員候補の紹介などを行なっております。

直近では、歴史カードゲーム・ハイストリーと岡崎市をマッチングさせたり、地元の食品メーカー(カクキュー)とコンタクトを取ったりと「歴史で地域を活性化」に関わっております。
秋には岡崎市のみなさんの後援を受けつつ、ドイツへの遠征も検討しております!

大河ドラマ「どうする家康」の波に合わせて、岡崎市で行われる各種歴史講演会やツアー企画への講師紹介・派遣も予定しており、河合敦氏(歴史作家、NHK「歴史探偵」など出演)、大石泰史氏(歴史研究者、「どうする家康」古文書考証)などヒストリンクに協力している方々を繋いでおります。

昨年末に歴史イベントで岡崎市とのつながりができてから、続々と企画が立ち上がりました。
今後は岡崎市をヒストリンクの活動・事業のモデルケースとし、ライオンズクラブはじめ各団体や企業、自治体との連携による歴史まちおこしを加速させて参ります!
岡崎にとどまらず、名古屋市の若者グループや大須商店街の方との交流も始まりつつあり、ますますネットワークが広がっていく予感です。
関東と愛知。二つの土地から歴史コンテンツを盛り上げ、日本の教育全体も明るくしていきますのでどうぞよろしくお願いします♪


【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

歴史人 約束違反に激怒したのは家康の方だった 史記から読む徳川家康⑫
https://www.rekishijin.com/26706/2
柴田理恵、『どうする家康』団子屋の老婆を演じて 「今の世の中も変わらない」
https://realsound.jp/movie/2023/05/post-1330808.html
「どうする家康」三方ヶ原逸話“回収”団子売りの老婆 番組CPも唸る作劇 柴田理恵の起用「愛らしさ」も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3f4ab89cefa391c91c590312c9b3d82f4e42af1

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com
歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com