結成5周年記念大会チャーターナイト開催報告

学生団体おりがみとNPO法人おりがみと東京文化ライオンズクラブの調印式の様子

#東京文化ライオンズクラブ は5月24日に結成5周年記念大会チャーターナイトを開催しました。支部とレオクラブの設立が発表され、学生団体おりがみとNPO法人おりがみとの提携調印式を行いました。

当日は、細川元地区ガバナーとグランドフィルハーモニック東京による室内楽も演奏されました。

細川元地区ガバナーによるチェロ演奏

表彰される中嶋大会会長と茅野大会実行委員長

振替例会クラブ紹介の様子、写真は東京浅草飛翔ライオンズクラブ

二部の懇親会では、グランドフィルハーモニック東京の生演奏の元、磯崎Lによるコラボのパフォーマンスが披露されました

磯崎Lによるパフォーマンスショー
会場は東京都美術館の精養軒

ライオンズ・ロアー

また会う日まで

おかげ様で東京文化LCは結成5周年を迎えることができました。引き続き、東京文化らしい芸術を通じた社会貢献を続けてまいります。

ありがとうございました!

上野の杜ブログ 「6年ぶり!五條天神社本社御輿渡御」

上野中通り商店街を渡御する様子

コロナ禍を経て、お祭りがまちに帰ってきました。東京文化ライオンズクラブの活動拠点のひとつである上野界隈では五條天神社の例大祭が開催されました。

実に6年ぶりの本社神輿の渡御でした。白馬や巫女舞など見所がたくさんの鳳輦の行列がまちを練り歩きました。

普段歩いているまちの中を千貫神輿が渡御する感覚はとても不思議でした!

宮出しの様子

高揚感で胸が高鳴ります。

商店街を渡御する御神輿に道ゆく人たちが写メを撮ります

宮入りの様子

最後のフィナーレである宮入り、本社神輿を先導してしらたちが歩きます

宮入りの最後はおしくらまんじゅうのように人の熱気で溢れておりました。

最後に御輿を掲げる、”さし”はまさに祭りのクライマックス!!!

江戸っ子たちが多く、すぐにはける様がとても粋でした。

祭りが終わって日常が戻ってきましたが、今も私の肩はとても痛いです。名誉の勲章というのでしょうか。心地いい痛みと日々戯れています。

とても貴重な体験をさせていただきました。

L一ノ瀬

ヒストリンクは何をしているの?

ヒストリンクが企画協力し、岡崎の歴史ファンが集うどうする岡崎家臣団のチラシ画像

歴史研究者とのマッチングサービス・ヒストリンク代表の齊藤太一です。東京文化ライオンズクラブとコラボレーションさせていただきなら、歴史を通じ岡崎市の魅力をアピールする活動をしております。

ヒストリンクでは、岡崎市などが行なっている歴史ファンコミュニティ「どうする岡崎家臣団」の企画協力、岡崎大河ドラマ館応援隊の隊員候補の紹介などを行なっております。

直近では、歴史カードゲーム・ハイストリーと岡崎市をマッチングさせたり、地元の食品メーカーとコンタクトを取ったりと「歴史で地域を活性化」に関わっております。
秋には、ドイツへの遠征も検討しております!

どうする岡崎家臣団は群馬県太田市の菓子店でも、PRされている

大河ドラマ「どうする家康」の波に合わせて、岡崎市で行われる各種歴史講演会やツアー企画への講師紹介・派遣も予定しており、河合敦氏(歴史作家、NHK「歴史探偵」など出演)、大石泰史氏(歴史研究者、「どうする家康」古文書考証)などヒストリンクに協力している方々を繋いでおります。

昨年末に歴史イベントで岡崎市とのつながりができてから、続々と企画が立ち上がりました。
今後は岡崎市をヒストリンクの活動・事業のモデルケースとし、ライオンズクラブはじめ各団体や企業、自治体との連携による歴史まちおこしを加速させて参ります!

大河ドラマ館応援隊の河合敦氏による講演会。家康の人気も高まっている

歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

『どうした家康・なにした家康』人生最大の危機!「焼きみそ・食い逃げ・しかみ像」

皆さんこんにちは!


東京文化ライオンズクラブと歴史探求団体「ヒストリンク」のコラボレーション企画
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第五号を配信いたします:)

前回のメルマガでは
金平糖の逸話や今川氏真のその後などをテーマにしました。
今号では徳川家康人生最大の危機である「三方ヶ原の戦い」の背景説明と、
あの有名な「焼きみそ・食い逃げ・しかみ像」周辺のエピソードについての解説をします!
また、時期は前後しますが大河では尺の関係ですっ飛ばされてしまった「姉川の戦い」についても補足を。
信長の義兄弟であった浅井長政はなぜ突如裏切ったのか?その解説を致します。
というわけで今号の内容は

【今回のコンテンツ】
①ややこしくて分かりにくい…!?大河ですっ飛ばされた姉川の戦いについて!
②家康がボロ負けした三方ヶ原の戦いについて
最後の部分で
③ライオンズ×歴史団体ヒストリンクのコラボレーション企画の進捗共有
を致します!よろしくお願いします♪


【①ややこしくて分かりにくい…!?大河ですっ飛ばされた姉川の戦いについて!】

姉川の戦いは1570年(元亀元年)6月に起こった戦いで
織田信長、徳川家康の同盟軍が
浅井長政、朝倉義景の両軍と戦った戦です。
大河ドラマ劇中では松潤家康が信長か長政かどちらにつくかで「どうする!?」状態になっていましたが、
(※関ヶ原の伏線になる・・・!?”問い鉄砲”もされていましたね!)
実はこの戦は信長にとっても、また敵方である長政にとっても悩ましいものでありました。

○信長と長政は義兄弟。兄と弟の関係でした
そもそも信長と浅井長政は義兄弟の関係にありました。
信長が美濃の斉藤氏を攻略をする際に近隣の有力者である浅井氏と同盟を組み、
挟撃して斉藤氏を倒そうという魂胆のもとの政略結婚を画策。
そのときにお市の方(信長の妹)が長政のもとに嫁いでいたのでした。
ですから長政は信長にとっての義弟でありますし、信長にとっては彼を絶対に裏切ることのない存在だと考えていました。

しかしながらそうはなりませんでした。
実は、浅井家と朝倉家は信長よりもずっと以前からの同盟関係。
信長と長政が同盟を組む際の条件に
「朝倉家との不戦の誓い」を盛り込んでいたくらいでした。
しかしどういうわけか信長は、この条件を反故にして朝倉氏を攻めてしまったのです。
この時期の信長は足利将軍家の威光を背景に天下に対して号令をかけ始めていましたが、
朝倉義景がこれに呼応せず上洛しなかったのを口実として朝倉の本拠である越前へ侵攻したのでした。

義兄への忠義か、先祖代々の同盟関係への義を立てるか。
長政は二つのジレンマの間で悩みに悩み抜きました。
そして…

元亀元年四月。
信長が朝倉義景の金ケ崎城を攻めている最中に
浅井長政、覚悟の裏切り。

これが全くの想定外であった信長は仰天し、
退路を断たれた絶体絶命の中で、
秀吉と明智光秀に殿(しんがり)をまかせ
命からがらの退却を行ったのでした。

(これが世にいう”金ケ崎の退き口”であり、大河ドラマでは第14話にあたります)
(※家康がこのときにドラマのように殿を勤めたかどうかは記録がなく不明。大河の創作と言えましょう)

本拠に帰り体制を整えた信長は家康と共に浅井・朝倉軍を攻め、
元亀元年六月、これが姉川の戦いになります。
浅井・朝倉方が2万1000に織田・徳川方が3万4000とも呼ばれる大激戦で
今でも現地には「血原」や「血川橋」といった地名が残るそうです。

徳川四天王である榊原康政による側面攻撃などで
この戦いに快勝した信長・家康連合軍は
じわじわ浅井・朝倉の勢力を切り取り、
数年の後にこれを滅ぼすことになるのでした。天正元年、三方ヶ原の戦いの翌年のことであります。
浅井・朝倉の滅亡により、信長の畿内における一強体制が揺るぎないものとなります。
後世の創作ではありますが、『浅井三代記』には義景・長政・長政の父の三名の頭蓋骨で
信長が正月の祝いを行ったとすら書かれていますから、信長にとってその喜びはひとしおだったのでしょう。

一方で浅井長政の、天下を取らんとする義理の兄を裏切ってまで殉じた朝倉氏への恩義の深さにも
どこか感じ入ってしまうものがあります。
天下の情勢に流されるか、義を果たすべきか。
大きな葛藤の中に果てた長政の思いもまた顧みられるべきといえます。

(大河の中でも松潤家康が最後の最後までどちらにつこうか悩むくらいの好男子として描かれていましたね)
長政役の大貫勇輔さんの好演、見事でした!


【②家康がボロ負けした三方ヶ原の戦いについて解説!】

姉川の戦いについて長く書きすぎてしまいました汗
こちら、三方ヶ原の戦いもとても有名な戦いで、「しかみ像」や「馬上の味噌」の逸話などがありますね。
戯画的に面白いエピソードもある中で、しかし戦いの背景や結果など細かな観点から見てみるのも
中々味わい深い戦いと言えます。ここからは大河での描写も眺めつつ、史実に基づいて戦いを概観してみましょう!

三方ヶ原の戦いは
1573年(元亀三年)甲斐国守護武田信玄と三河守(みかわのかみ)徳川家康との間で起こった戦いです。

この戦いの原因は、当時滅亡寸前にあった今川家の所領をどのように扱うかの認識の齟齬にあります。
家康は西から遠江を、信玄は北から駿河を攻める形で今川領土を侵略していったのですが、
その際の境界線を「互いに切り取り次第」として曖昧にしか決めていなかったことから問題が生じてしまったのです。

一般にこの戦いは家康が武田軍の奇策、浜松城の素通りに引っかかり
多くの戦死者を出して潰走した…とされています。
現に大河で描かれたように夏目吉信や本多忠真を筆頭に数多くの味方を戦死させてしまいましたが、
しかし、家康も単純に罠に引っかかったのではなく、
その裏には事情もあったようです。
たとえば本郷和人『徳川家康という人』(河出新書)には、
「家康は信長から佐久間信盛・水野信元など複数の援軍を預かっていたため、場内に籠城を続けることはメンツ的に許されなかった」
という趣旨の記述があります。

氏によれば、城門を開け打ってでて、少しの間打ち合って退却する手筈が、
血気盛んな三河武士があまりに前に出て結果としてそのような罠に引っかかる構図になってしまったということです。
罠であるかもしれないと思いつつも政治事情で踏み込まなくてはいけなかった立場を想像すると、
なんだか複雑な心境になってしまいます。
結果として人生最大の敗戦となりましたから家康は内心忸怩たるものだったでしょう。

大河の中では本多忠真(本田忠勝の叔父)や夏目吉信
の壮絶な最後が描かれ多くの人の涙を誘いました。

夏目吉信といえば、松潤家康がいつまでも本名を覚えられず間違い続けたコメディタッチな演出がありますが、
こちら史実とは言わないまでも元となったネタがあります。
というのも、夏目吉信という名前は歴史の資料には確認されず、
一次資料に出てくるのはいつも「夏目広次」の名前なのです。
これはあたかも徳川家武将の真田信繁が真田幸村の通名で有名であるかのような不思議で、
この実名と通名の違いを巧みに活かしたのが今回の大河のエピソードだったわけです。

【参考①】
「どうする家康」ネット号泣 だから夏目広次の名前を間違えた…初回からの伏線に甲本雅裕も衝撃「マジか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/067db12fd0ff2519b42d2694ed713ef9ebd21a90

そのほか、三方ヶ原の戦いには数多くのエピソードがありますが、
書ききれませんのでダイジェスト的にいくつか挙げます。

・酒井忠次の「酒井の太鼓」は愛知県岡崎公園にも石像があるくらいに有名な話だが、
こちらは三国志の諸葛孔明のエピソードから借りた創作である。

・家康の自画像で有名なものに「しかみ像」と呼ばれるものがあり、三方ヶ原の敗戦を痛恨に思い部下に描かせたとされていたが、
この説は誤りで、これは昭和11年に徳川美術館初代館長の徳川義親氏が話したリップサービスが由来。

【参考②】
徳川家康「しかみ像」は慢心の戒めに描かせたのではなかった? 三方ケ原の負け戦(いくさ)とは無関係とする新説
https://www.tokyo-np.co.jp/article/152335

などなど。
さらに挙げるなら、
「勇猛な三河武士は斃れるときも後ろを向かず敵を正面から見据える形で倒れていた」
「家康はあまりの恐怖に馬上で粗相をし、部下にそれを指摘されると”これは味噌じゃ”と返答した」
なども有名ですね!

”馬上の粗相”の話は三方ヶ原を語る上で絶対に外せないエピソードですが、
松潤家康とのイメージのギャップがありましたから、こちらどのように作劇するのかな?と思っていましたが、
なるほど大河19話「お手付きしてどうする」にて上手に処理されていましたね。
つまりはこれを「心無い市井の噂話の一つ」として表現したのです。
しかもそれを吹聴している中に「茶屋の老婆」の姿もあり、
こちらも有名な「食い逃げした家康を追いかけて代金を払わせた」という「小豆餅の銭取婆」の逸話を
上手に取り込んでいます。

大河ドラマには進行上の尺の関係や役者イメージなど様々な制約があるといわれていますが、
そのような条件の中でも既存の説と新説をうまく融合させて表現していく。
「ALWAYS三丁目の夕日」でも有名な古沢良太氏が今回の大河の脚本ですが、
その腕前には毎度唸らされてしまいます。

六月に入ると大河も折り返し地点となりますが、
後半戦もますます大河からは目が離せません!今後もヒストリーライオン「どうした家康、なにした家康」をよろしくお願いします♪

【☆ヒストリーライオンでは質問も募集しております】
今回のレポート・特別篇はいかがでしたでしょうか?
歴史や地理に興味のあるライオン同士で繋がりましょう!
本メルマガでは歴史好きにとって興味深いトピックも詳しく解説していきます。
(例:長篠の戦い、神君伊賀越え、関ケ原などは大注目!)
歴史に興味がある・これから学びを深めていきたい…といった歴史情報に注目されている方がいましたら、
ぜひメルマガの感想をいただけますと嬉しく思います♪
大河ドラマを見ていて疑問に思ったことなども、なんでも質問いただけましたら調査致します。
歴史好きな皆でぜひ交流を深めていきましょう。
よろしくお願いします♪

【③ライオンズ×歴史団体ヒストリンクのコラボレーション企画の進捗共有】

ヒストリンクでは、岡崎市などが行なっている歴史ファンコミュニティ「どうする岡崎家臣団」の企画協力、岡崎大河ドラマ館応援隊の隊員候補の紹介などを行なっております。

直近では、歴史カードゲーム・ハイストリーと岡崎市をマッチングさせたり、地元の食品メーカー(カクキュー)とコンタクトを取ったりと「歴史で地域を活性化」に関わっております。
秋には岡崎市のみなさんの後援を受けつつ、ドイツへの遠征も検討しております!

大河ドラマ「どうする家康」の波に合わせて、岡崎市で行われる各種歴史講演会やツアー企画への講師紹介・派遣も予定しており、河合敦氏(歴史作家、NHK「歴史探偵」など出演)、大石泰史氏(歴史研究者、「どうする家康」古文書考証)などヒストリンクに協力している方々を繋いでおります。

昨年末に歴史イベントで岡崎市とのつながりができてから、続々と企画が立ち上がりました。
今後は岡崎市をヒストリンクの活動・事業のモデルケースとし、ライオンズクラブはじめ各団体や企業、自治体との連携による歴史まちおこしを加速させて参ります!
岡崎にとどまらず、名古屋市の若者グループや大須商店街の方との交流も始まりつつあり、ますますネットワークが広がっていく予感です。
関東と愛知。二つの土地から歴史コンテンツを盛り上げ、日本の教育全体も明るくしていきますのでどうぞよろしくお願いします♪


【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

歴史人 約束違反に激怒したのは家康の方だった 史記から読む徳川家康⑫
https://www.rekishijin.com/26706/2
柴田理恵、『どうする家康』団子屋の老婆を演じて 「今の世の中も変わらない」
https://realsound.jp/movie/2023/05/post-1330808.html
「どうする家康」三方ヶ原逸話“回収”団子売りの老婆 番組CPも唸る作劇 柴田理恵の起用「愛らしさ」も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3f4ab89cefa391c91c590312c9b3d82f4e42af1

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com
歴史団体ヒストリンク・歴史を楽しむ会 代表 斎藤太一
連絡先:http://histlink.pro.fan@gmail.com

コロナと生の演奏会・ライブと

L浦田です。みなさまこんにちは。

東京文化ライオンズクラブは、『文化芸術で社会を豊かに』というスローガンに掲げています。メンバーの心を豊かにすること・文化芸術への支援や応援が、ライオンズクラブの垣根を超えた社会への貢献と考え、年間を通し、音楽例会や美術館鑑賞例会を行っております。

そんな中、私にコラムのバトンが渡ってきました。

私はオーケストラの運営・制作を行っている、という職業柄、今回は、『生演奏鑑賞のススメ』を書かせていただきます。

およそ3年前、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により緊急事態宣言や外出自粛、不要不急の外出を控えるなど、社会全体が停滞しました。残念ながら音楽は『不要不急』の対象でした。音楽に限らず、エンターテインメントなどの各業界が大打撃を受けました。それは、エンタメ従事者の活動自粛や休業だけではなく、『聴き手・鑑賞者』にとっても見えない打撃でした。

このコロナ期、有料・無料それぞれの配信企画が増えました。

”おうち時間”を有効に使い各家庭で鑑賞できる、そして見たい時に見れる、といった非常に良いとこだらけです。

私自身もこの配信というものをやってみたいと思い、かつ、日本中の音楽家へエールを送りたいと思い、星野源さんの『うちで踊ろう』プロジェクトに乗っかり、日本中のオーケストラ奏者をタッグをくみ、リモート演奏会という形でYOUTUBEで公開しました。

ここにリンクを貼っておきます。

もし、機会があればみていただければと思います。

話は戻ります。

もちろん、最新のテクノロジーを駆使し、場所や時間、環境に左右されず、各地のお客様へ見て頂ける、聞いて頂けるのはとても素晴らしいし、聴き手にとってもこれは嬉しいことです。

ただ先ほど申し上げた”『聴き手・鑑賞者』にとっても見えない打撃”とは、配信に慣れすぎてしまっている、というところにもあります。

コロナも終息に向かう今、緊急事態宣言等も発出されておらず、社会が回復しエンタメ業界にも漸く活気が戻ってこようとしているこの今、せっかく今しか見れない、今しか体験できない、という環境があっても、『まあどうせ、いつか配信とかしてくれるでしょ』という声もTwitterでたまに見かけます。

鑑賞者の楽しみ方に義務はありません。ただ、私たち東京文化ライオンズクラブの考え方で申し上げると、せっかくなら『生の演奏会・ライブ』に行っていただきたいところです。それは、これまでコロナで疲弊したエンタメ業界への支援にも繋がります。

もちろん、エンタメ従事者への支援という側面だけで申し上げてるのではなく、みなさまにとっても良いことはあります。何よりも生の演奏会やライブは楽しいはずです。どんなにテクノロジーが発展しても、生の空気感、演者の呼吸音、集中する聴衆の緊張感や、ライブでの演者とのコミュニケーションなど、リアルイベントに勝るものは無いだろうと思います。

一方、配信三昧だったコロナ期に、音楽に興味をもたれた方も少なくないと思います。演奏会やライブへは気軽に足を運んでいただき、ぜひそれぞれの『音楽空間』を楽しんでください。オーケストラコンサートなんかはよく、『ドレスコード厳しい?』『マナーは??』という声をよく耳にします。最近はそのようなオカタイコンサートは比較的少ないと思います。細かいことは気にせず、『行ってみたい・聞きたい』という好奇心を頼りに、2度目となりますがぜひ、リアルイベントへ足を運んでいただきたいと思います。

L浦田拳一

そば巡りブログ

東京文化LC前会長のL茅野雅弘です。今回はそば巡りの第二弾をお送りいたします。

蕎麦屋巡り、二軒目は江戸蕎麦御三家「神田 藪蕎麦」

淡路町駅からほど近くビジネス街の中にある江戸時代の蔦屋の流れをくむ老舗の蕎麦屋

屋外, 建物, 道路, ストリート が含まれている画像

自動的に生成された説明

神田オフィス街のビル囲まれながらも立派な店構え

実はこの界隈、江戸時代から賑わいのある地です。特に大正時代は中央線の始発駅「万世橋駅」があり、藪蕎麦界隈は大変な賑わいでした。私も上野の生まれ育ちですので良く都電に乗って万世橋駅跡にあった交通博物館に遊びに来ていました。この辺は改めてご紹介しましょう。

さて、現在の藪蕎麦の建物は平成25年に焼失した後再建された建物です。

私は焼失前の店にも行きましたが、引き戸を開けて店内に入るとお帳場の女将が「いらっしゃい~」の掛け声がかかる情緒ある店でした。

板塀のある以前の店舗

この情緒は今も健在で新しい店に至るアプローチも落ち着いた雰囲気、蕎麦屋としては高級感が出ています。脇には創業者堀田七兵衛の胸像、老舗感は強めですね。

女将の声掛けこそないものの、店員さんの「いらしゃい~」は健在で落ち着いています。

台の上にある岩

低い精度で自動的に生成された説明

以前より広い店内 雪見障子からは庭が見える

早速、蕎麦すしと熱燗で一杯。皆さんあまり聞きなれない「そば寿司」写真のとおりシャリの代わりに茹でたそばを海苔で巻いた太巻寿司です。

太巻寿司よりは味は淡白ですがその分つゆや醤油に合います。

老舗でありビジネス街の中にあっても昼からお酒たしなむ方も多く、カップル客も。

大人のデートコースに最適です。

私はカキの南蛮漬と鴨も頼んで蕎麦屋飲みです。

蕎麦すし・カキ南蛮漬け・鴨で一杯 日本人で良かった!

仕上げは鴨南蛮せいろ。

蕎麦は蕎麦の実の緑色皮ごと挽いた藪蕎麦、せいろの色が薄っすらと緑色になっています。

香りと味が強くザ・ソバという食感です。一方つけ汁は蕎麦に合わせた鴨汁が誠にgood。

鴨せいろは銀座の長寿庵が元祖と言われておりますが(おいおいこちらも紹介しますね)、老舗らしく鴨と蕎麦の相性が良く伝統の一品でした

全国に藪蕎麦は広がっておりますが、基本は蕎麦の実を甘皮ごと挽いて打った藪蕎麦を使うのが原則で、蕎麦の色が甘皮の緑が混ざり緑色ぽっくなります。

殻を取った蕎麦の実を丸ごと挽くのが藪蕎麦 蕎麦が緑色かかっています

東京の蕎麦屋御三家 趣と歴史を感じながら 楽しくそばを堪能できたひと時でした。

次回は御三家「永坂更科」に伺います。

かんだやぶそば

〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-10

営業時間: 11:30~21:00 定休日:水曜日

電話: 03-3251-0287

上野を無料で楽しもう! 上野ミュージアムウィークが3年ぶりに開催決定!

上野エリアの人気スポット&グルメをおトクにまわる一大チャンスがやってきました!例年一年に一度訪れる上野を最高に楽しむ日が訪れます!

数多のおいしい老舗と数多の文化施設をほしいがままに堪能するウィークです。上野の上野らしさを存分に味わえるスペシャルな期間です!

今回の上野ミュージアムウィーク2023の見どころは3点!!!

・5/16(火)と5/18(木)に一部施設で開催される”無料観覧日”!
・上野のれん会が贈る街のお楽しみ無料クーポン!
・作曲家・植松伸夫氏スペシャル動画「植松伸夫 con TIKI 」配信!

上野ミュージアムウィークとは?

「国際博物館の日」は1977年に国際博物館会議(ICOM)が設けた博物館の記念日です。多くの方に博物館に親しんでいただく、博物館の役割をより広く知っていただくことなどを目的に、5月18日とその前後に世界中の博物館で記念行事が行われます。

国際的にも稀なほど、博物館・美術館などの文化施設が多数集まる上野では、毎年「国際博物館の日」の前後を「上野ミュージアムウィーク」として文化施設と上野のれん会が様々な記念イベントを行っています。

上野の山とまちを堪能する

上野公園の文化施設と同じくらい歴史の名店が皆様をお待ちしています。今回、クーポンに参加されるお店は上野が誇る名店です。公式ウェブサイトのクーポンページを見せて、サービスを受けてください。上野のスペシャルウィークに相応しい大盤振る舞い!大変コスパのよい贅沢な1日が過ごせます!

5月18日(木)は東京国立博物館、科学博物館、西洋美術館の3館の常設展が無料になるスペシャルデイ!ぜひ上野の文化施設とまちをお楽しみください!

5月20日(土)からはファイナルファンタジー・シリーズで有名な作曲家・植松伸夫さんのスペシャルコンサート動画も配信されます!

リアルで、オンラインで、五感で上野をご堪能ください!

初夏の風とともに、ぜひ上野界隈を散策ください!

現役東大・慶應・法政の大学生が考案!カードゲームで歴史を面白く!

初めまして!


「歴史を楽しく主体的に」というビジョンを掲げて歴史カードゲームHi!story(ハイストリー)を作成・販売している東京大学、慶應大学、法政大学の現役大学生チームです。

今回、幸運にも鈴木Lの関係から機会をいただくことができたので我々の思いを書かせていただきます。

突然ですが、学校の社会の授業で子供達が目をキラキラ輝かせ、進んで手を挙げている姿を想像してみてください。先生や保護者さんの目線から見るとこんなに嬉しいことはありませんよね。

しかし…

歴史は「暗記で苦しい、つまらない」と思っている子供が沢山いるのが現状です。
親が「勉強をしなさい!」と言っても素直にやらなかったり、やったとしても、ストレスを溜めながら嫌々勉強する子供が大半です。

それも無理はありません。子供にとって硬い歴史の参考書や板書を写すだけの授業は「面白くない」のです。

でも、思い出してみてください。あなたにも同じ経験はありませんでしたか?
板書をノートに取るだけの授業。テストのためだけに赤シートを使ってわけもわからず用語を暗記。
テストや受験が終われば、綺麗さっぱり忘れ去っていく。「歴史ね。あー習ったね。何やったか全部忘れたけど」

やがて、大人になって
ふとニュースを見て考えた時、「あれ、この国ってなんで戦争してるんだろう…」
観光地に行って子供にその場所の歴史について聞かれた時、「あれ…全然、歴史についてわかんないや…」
友達や上司と自分の未来やキャリアについて話した時、「やっぱり、日本はこれから…だよね」「俺もそう思うよ、だって…だもん」「これからは…がくるね。過去の話を見ても…」という話を聞いてポカンと口が空いてしまった経験、よく分からないけど「うん、そうだね」と相槌だけ打っていた経験、ありませんか?

そんな時心の中では、「あぁ、自分ももっと歴史を好きだったらなぁ。もっとニュースとかを興味津々に見ておけば良かったなぁ」と思っていたはずです。

子供時代に歴史に興味が持てず、大人になってそんなような思いをする子供が減るように、歴史カードゲーム、Hi!story(ハイストリー)を作りました。

歴史を好きになる入り口となる最高の製品をお届けします。

今年の2/21に第一弾の平安・鎌倉 vs 幕末・明治のスターターデッキを発売開始しました。

「子供が自分から歴史人物について調べたり聞いたりと興味を持つようになった!」
「あっちには強い西郷隆盛がいるからね…みたいにポケモン感覚で歴史人物などを覚えている!」
「ゲーム中に歴史人物やキーワードを自然と声に出している!」

などなど、お子様をもつ保護者様を中心に喜びの声を続々いただいております。

学生の身ということもあって、資金面などの制約から、現在は限定数百部しか販売しておりません。ご興味を持っていただけた方は以下の公式HPからお早めにお申し込みいただけると幸いです。

▶ 公式HP(ご購入や詳細はこちらから)
https://highsto.net

▶ 公式Twitter(最新情報はこちらから。フォローやいいね、お待ちしています。)
https://twitter.com/projecthcard

現在は次回作を準備しております。もしご興味を持っていただけたら、応援の程よろしくお願いいたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第四号

皆さんこんにちは!

東京文化ライオンズクラブと歴史探求団体「ヒストリンク」のコラボレーション企画
ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』の第四号を配信いたします:)
大河では姉川の戦いが終結し、いよいよ武田信玄との直接対決の時が迫りつつありますね。
今回のトピックでは前回までの放送を振り返り、以下三点

・三河一向一揆
・今川家の滅亡
・戦国時代のお菓子金平糖

これらについてエピソードを交えつつ解説します!
お楽しみください♪

【①三河一向一揆】
ドラマでは三週に渡って行われた一向一揆のエピソード。
こちらを史実に基づいて解説します。

三河一向一揆は
永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけて行われた
約半年間ほどの三河領国内での戦いです。
一揆のきっかけとなった出来事には複数の説がありますが、
主に「治外法権であるはずの寺社内に家康配下の武士が立ち入った」ことが原因とされています。
年貢の納入を拒否された・犯罪人を捕まえるために侵入したなどの説があり、
家康側の気持ちも分からなくないのですが、当時のお寺は大名の支配とは異なる独自の権力として
存在していたためこれは家康側の明確なルール違反でした。
ドラマで描かれていたように、三河の一向一揆への対応で家康は家臣団が大きく割れての大騒動になりましたが、
結果としては領国内に存在した如意ならざる存在を徹底的に排除するきっかけとなりましたので、
後々のことを考えると怪我の功名ともいうべき戦いとなりました。

中世当時の日本では土地の支配制度・権利関係は極めて複雑で、
領主が領国内を一括で統一する体制にはなっていませんでした。
(※歴史用語ではこの重層的な土地所有関係は”職の体系”と呼ばれています)
一向一揆衆も当然のごとく不入不輸の権利を持ち、寺社同士のネットワークも存在していましたから、
そのような如意ならざる存在が国内に複数ある状態では国の統治はままなりません。
ですから織田信長も一向一揆の存在には頭を悩ませていましたし、
最終的には寺社を焼き討ちしてまで自国の支配権を確立させたのでした。

なお大河ドラマでは一向一揆の結末として「元の原っぱに戻す」という頓智のような話を持ってきましたが、
こちらの元ネタは『三河物語』の中に登場します。
一般的にはこのエピソードがあるから「徳川家康は腹黒である」などと言われたりするのですが、
今回の大河ではこのセリフの発案者を本多正信ということにして松潤家康のイメージとの矛盾を回避したのは
上手な脚本だなと感じた次第です!

【②戦国大名としての今川家とその後の氏真】
偉大な父親の元に生まれ苦悩の連続であっただろう氏真。
その人生をダイジェストで振り返ります。

「海道一の弓取り」と謳われ一大勢力を築いた名君今川義元公。
幼少時代の家康も人質として使えた大人物でしたが、
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで織田信長により打ち取られ
その後の勢力図は大きく変わってしまいました。
今川家を継いだ氏真は父親の築いた地盤を維持することができず、
三河の家康と甲斐の武田信玄の両者からジワジワと侵略を受け、
永禄12年(1569)の掛川城開城を以って戦国大名としての今川家は滅亡してしまいました。

ここで「戦国大名としての」と書いたのは、実は氏真は戦いの中で打ち取られたのではなく、
今川家自体もその後の時代(幕末以降!)まで存続したからです。
今川氏真は蹴鞠の名手であり、天生3年(1575年)には京都へ旅をして
織田信長の前で蹴鞠を披露したという逸話が残されています。
また彼による和歌も数多く残されており
「今川氏真詠草」には428首もの和歌が残されているそうです。

関ヶ原の戦いも終わった慶長18年(1613年)に77歳もの長寿で亡くなるまで
生きた氏真は、晩年には家康の茶飲み仲間にもなっていたと伝えられています。

氏真の歌として
「なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身のとがにして」
というものが知られています。
高い教養を誇り多くの人から尊敬されつつの最後であったと聞く晩年ですが、
生まれたのが戦国乱世という「時に合わぬ」時代であったのは氏真の不幸だったのかもしれません。

【③金平糖は”金のお菓子”!?】
小粒でもピリリと甘いあのお菓子のお話です。

ドラマの中で家康はあるお菓子を血眼になって探します。
そのお菓子の名はコンフェイト、そう今でいう金平糖です。
戦国モノのドラマでは織田信長と関連させてしばしば登場するイメージのある金平糖ですが、
史実でも永禄12年(1569年)にポルトガルの宣教師ルイスフロイスによって献上されています。
この頃の金平糖は現代とは異なり、大きめのサイズに白一色のもので、
フラスコに入れられて献上されたそうです。
(ちなみにコンフェイトという言葉もジャムなど果物の保存食全般を表す言葉だったそうな)

「信長のシェフ」という漫画によれば、この頃の日本ではまだ砂糖が国内生産をされておらず、
年間でも150キロほどしか手に入らない状態だったそうです。
だから砂糖は金塊と同じくらいの値段で取引されたという話で、
なんだかこれは「コショウ一粒が金一粒の価値」と言われた大航海時代の香辛料の話とも似ているように感じます。
しばらくはこのように珍重された金平糖などの砂糖菓子ですが、
18世紀の八代将軍徳川吉宗の時代になると国内でさとうきび栽培が奨励されるようになり、
名古屋・和歌山・四国・九州などを拠点に砂糖が大量に国内市場に出回るようになるのでした。
今日の多様な和菓子の形態はこの頃に形作られたとのことです。

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【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com
金平糖の歴史
https://www.ebisudo-seika.co.jp/hpgen/HPB/entries/9.html
江戸時代の砂糖食文化 砂糖の流通と砂糖菓子
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000274.html

【文責】
東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)
連絡先:yanaka.labo@gmail.com

「池上本門寺を知る!」今話題の徳川家康と本門寺に深い関係性あり!

皆さん、こんにちは!東京文化LCのムードメーカーのL柏原です!

今月は私の方からメルマガをお届けします。

今回は池上本門寺「池上本門寺ウェブサイト (honmonji.jp)」をテーマにしたいと思います。

なぜ池上本門寺をテーマにしたかというと、当クラブのメンバーに池上本門寺の関係者がおり、私もその池上出身ということで、われらの地元「池上」を少しでも知ってもらえればと思います!

池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山です。

日蓮聖人入滅の霊場であり、また布教の殿堂として現代にその法灯を受け継いでいます。

その池上本門寺には、歴史上の有名な人物や著名人のお墓が多く建てられています。

その中でも今回は、大河ドラマ「どうする家康」でも登場する家康の側室の「お万の方」について調べてみました!

お万の方は、江戸時代初期に活躍した女性で、江戸幕府の初代将軍・徳川家康の側室の一人でした。彼女は非常に美しく、才気にも富んでいたため、家康から寵愛を受け、その後も江戸幕府の将軍や大名たちからも愛される存在となりました。

お万の方|徳川家康の側室で結城秀康の生母 | かおりんの歴史ブログ

一方、池上本門寺は、江戸時代に江戸市内にあった仏教寺院です。この寺院は、日蓮宗の総本山である本門寺の分院であり、江戸幕府からの保護を受けていました。池上本門寺は、江戸時代には庶民からの信仰が篤く、また様々な文化活動や社会福祉活動を行っていたことでも知られています。

お万の方と池上本門寺には、ある逸話が残っています。お万の方は、ある日池上本門寺を訪れた際に、寺の住職から日蓮宗の教えを学び、感銘を受けたといわれています。その後、お万の方は日蓮宗の信者となり、池上本門寺に度々足を運ぶようになりました。また、お万の方は池上本門寺に多額の寄進を行い、寺の発展に寄与したとされています。

実は、その「お万の方」のお墓が池上本門寺にあるのです!

かなり大きく立派なお墓ですね~!

ぜひ一度歴史に思いを馳せながら、お参りしてみてはいかがでしょうか?

それでは、また次回のメルマガをお楽しみに~♪

※ちなみに今回の記事は一部chatGPTを活用しております。こんなに便利なものが使える時代になったのですね。SFの未来もすぐそこまできているのかもしれません