【どうする家康をどう観る!?】


ヒストリーライオン『どうした家康・なにした家康』のスタート号。

みなさんこんにちは!
新年のお正月ムードもひと段落となる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
この季節といえばNHK大河ドラマも新しいシリーズが始まる時期です。
今年は嵐のマツジュン君が主演で注目の『どうする家康』がスタートしましたね。

東京文化ライオンズの若手が中心となり活動している「歴史研究班」としても、
一年間の放送に合わせて徳川家康や戦国時代に関する理解を深めていく所存です!
そのための新企画としてヒストリーライオン、『どうした家康・なにした家康』を立ち上げました!
こちらは歴史を楽しむ調査団体「ヒストリンク」との完全コラボレーション企画です。

ライオンズのメルマガをきっかけとして、大河ドラマや歴史全般に興味を持つ方に向けて
放送と関係した様々な歴史トピックを紹介していく文章を執筆していくことになりました!
今年は本企画を通じて、ライオンズ内外に向けてさまざまな取り組みをご紹介致しますので、
応援よろしくお願いします♪

さて、どうする家康ですが、原稿執筆時点では第二話「兎と狼」まで放送され
第三話「「三河平定戦」を楽しみに待っている次第。
テレビを見ていない方向けに、ここまでのあらすじを整理してみました!

【第1回「どうする桶狭間」】ーーーーーーーーーーーー
武士が激しい領土争いを繰り広げていた戦国時代。尊敬する今川義元のもとで、
人質ながらも楽しい生活を送っていた松平元康、のちの徳川家康は、
心優しい姫・瀬名と恋に落ちる。このまま幸せな日々が続くと信じていたある日、
織田信長が領地に攻め込み、元康は重要なミッションを任される。
命からがら任務を果たしたものの、戦場のど真ん中でまさかの知らせが!
どうする元康!?

【第2回「兎と狼」】ーーーーーーーーーーーーーーー
織田軍に包囲され、絶体絶命の松平元康。だが、なぜか織田信長は兵を引く。
元康は慌てて大高城を飛び出し、瀬名を残す駿府に帰ろうとするが、家臣団は
故郷の三河に戻りたいと猛反対。元康は渋々三河へ向かうが、敵の罠にはまり、
重臣の鳥居忠吉が大けがを負うなど松平軍は壊滅状態に。なんとか岡崎の大樹寺に逃げ込んだが・・・。

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このような話になっています。
第一話で家康(元康)の結婚から桶狭間での今川軍の敗北を、
第二話では家康と信長の出会いと大樹寺でのエピソードについて扱われていました。
ドラマの構成は前回までの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と比べて
かなりファンタジー色の強い雰囲気となっているようです。

【大河ドラマを見た感想や補足事項をQ&Aで!】

大河ドラマの中では直接紹介されなかったエピソード・学説などをこちらで紹介します!

Q,家康の少年時代って?惨めな人質だったというのは本当?
A,昔はそのようにも伝えられたようですが、
最近の研究では「惨めな人質生活」というイメージは事実と異なるとされているようです。
駿府は当時の大都会であり一流の文化サロン。
今川義元は人質としてやってきた家康のことも丁重に扱い、今川家の重要な家臣として育てようとしたようです。
(大河ドラマの考証担当である平山氏も自身のtwitter上でそのように言及していました)
シティボーイとして育った家康にとっては岡崎城がとても田舎に見えたかもしれません。
ドラマの第一話で瀬名姫と結婚していましたが、こちらも今川一族である関口氏純氏の姫で、
今川家に使える元康にとっては出世にあたる結婚でした。

Q,桶狭間の戦いで家康は何をやりましたか
A,ドラマの中でも描かれていましたが、元康は補給担当として大高城を攻略しました。
攻め落とした城で休憩中に今川義元戦死の知らせを受け、慌てて岡崎へと帰ったようです。
ですがそのまま岡崎城に入るのではなく、一度大樹寺で動向を探ったのち岡崎城へ入城したとされています。
なお桶狭間の戦いは「信長が悪天候の中後方から奇襲をかけた」とされる説が有名ですが、
こちらは後の時代に書かれた軍記や明治時代の『日本戦史』により広められた説で、
史実と異なる可能性も強い模様です。少数の織田兵が今川勢をどのように攻略したか議論が分かれるようですが、
一つの説として「悪天候の今川陣地へ攻め入った結果、今川は装備がずぶ濡れで重たくなり機敏に対応できなかった」
というユニークな話も紹介されており興味深く思いました(後の時代の「桜田門外の変」のエピソードを思い出しますね!)

【そのほか、家康の出生と成長に関する情報を整理しました】

○家康誕生とその頃の三河
家康は三河(愛知県東部)の豪族である松平家に生まれました。
祖父である清康の時代には三河を統一するほどの勢いのある家でしたが、
清康が「守山崩れ」にて若くして家来に暗殺され、息子の広忠が十歳で家を継ぐことになり弱体化。
西には尾張で勢力を伸ばす織田家、東には遠江・駿河を持つ有力大名である今川家に挟まれる中で、
家康の父松平広忠は今川義元の家臣として三河を守ってもらう形で生き残りを図りました。

○家康の小さい頃
幼い頃の家康の名前は竹千代。
父が今川義元の支援を受けるために6歳の時に今川家へ人質に出されました。
しかしその途中で家来の裏切りにより織田家にさらわれてしまい、
そこで尾張で二年間の間暮らしました(この頃に織田信長と出会っていたかもしれません)
織田家と今川家の人質交換により今川の本拠地、駿府にて生活することになりました。
ここでは今川家の軍師である臨済寺僧侶の太原雪斎から教えを受けるなど
人質といっても大切に扱われ育てられました。
1555年の元服の際に竹千代は今川義元から名前をもらい「松平元信」と改名。
そして十六歳で築山殿と結婚し、松平元康となりました。

○「徳川」という苗字について
戦国時代において有力大名大名の多くは源氏か平氏の末裔を名乗っていたようです。
これは政権を担うには源氏か平氏のどちらかの「ブランド血統」でなければいけない…という思想によるもので、
家康の祖父清康も清和源氏の由来であると自称していました。
その家系図の中に「得川」という文字が見られ、ここから家康は「徳川」の名を思いついたとされます。

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【以上が今回のヒストリーライオン企画になります】

今回のメルマガ、如何でしたでしょうか?
新しくスタートした「どうした家康・なにした家康」、
今後も盛り上げられるように頑張ります。
次回以降も大河ドラマを見て疑問に思ったことや補足情報を
メルマガにて発信させていただきます。お楽しみください♪

【質問も募集しております】
歴史や地理に興味のあるライオン同士で繋がりましょう!
本メルマガでは歴史好きにとって興味深いトピックも詳しく解説していきます。
(例:長篠の戦い、神君伊賀越え、関ケ原などは大注目!)
歴史に興味がある・これから学びを深めていきたい…といった歴史情報に注目されている方がいましたら、
ぜひメルマガの感想をいただけますと嬉しく思います♪
大河ドラマを見ていて疑問に思ったことなども、なんでも質問いただけましたら調査致します。
歴史好きな皆でぜひ交流を深めていきましょう。
よろしくお願いします♪

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【ご参考】
☆どうする家康HP
https://nhk.or.jp/ieyasu/
☆ヒストリンク
https://historyenjoy.com

東京文化ライオンズYCE委員会・地理歴史研究班所属、鈴木慎平
協力:徳川家を楽しむ会(歴史研究者とのマッチングサービス)

さまざまなライオンズクラブの仲間たちと連携も進めてまいります

上野中通り三横丁復活スタンプラリー!

芸術の香り豊かな歴史ある商店街 上野中通商店街「上中(うえちゅん)」にて上野中通り三横丁復活スタンプラリーが1/29(日)まで開催されております。

江戸時代から続く六阿弥陀横丁、三枚橋横丁、摩利支天横丁をめぐるデジタルスタンプラリーです。先着1000名に横丁手拭い、横丁瓦煎餅、横丁煎茶セット、摩利支天絵馬のどれかひとつがもらえるイベントです!スタンプラリーはスマホのアプリでできるようになっています。歴史と文化とデジタルが合わさった令和の新しい文化享受のスタイルといってもよいかもしれません。

上野摩利支天は上中・アメ横にある江戸から続く由緒ある寺院です。仏教の守護者であり陽炎の化身である摩利支天がお祀りされてます。摩利支天は猪の背に立つことから、十二支の亥の日が縁日と定められています。参詣祈願の人々に「気力・体力・財力」を授けることからスポーツや受験などに大変ご利益のある寺院として知られています。

旧三横丁の名称復活は、江戸の歴史や文化を改めて知る契機となります。これを機会に当たり前にある身近なものの歴史を振り返ってみるのもいいかもしれませんね。

上野中通り三横丁復活スタンプラリー
https://ueno-club.jp/inoichi/

L佐藤による書籍「ウクライナの現場から」が刊行されました


ジャーナリストL佐藤はロシアのウクライナ侵攻間もない2022年3月に入国しました。

戦禍により、人生を狂わされた数多くの「一般市民」の様子をありのままに伝えます。

市民たちの生の声による取材を通じ「戦争のリアル」と「世界の行く末」について、戦場ジャーナリストが「現場目線」で考えが伝わってきます。

ウクライナの現場から

L一ノ瀬デザインの行燈が学問の道に並びました

 

1月21日(土)、22日(日)に御徒町から湯島天満宮を繋ぐ学問の道のイベントが開催されました。

700mの一本道にL一ノ瀬がデザインした行燈が並びました。

上野・御徒町は桜と鯉を、湯島は梅と龍をイメージして制作されました。

L一ノ瀬は浪人生活を6年間経験しました。最後にお参りしたのが湯島天満宮です。


受験生を抱える皆さんや関係者の皆さんはぜひお参りください。

学問のみち公式ウェブサイト

東京文化LCクリスマス例会を開催しました!

#東京文化ライオンズクラブ は12月のクリスマス例会を開催しました。磯崎Lによるマジックショーにはじまり、昔ながらの遊戯であるお手玉やおはじきなどのゲームが行われました。メンバー全員が持ち寄ったチャリティーオークションは大盛り上がり!一家での参加もあり、素敵なクリスマスとなりました

12月の第1例会を開催

東京文化ライオンズクラブ は12月の第1例会を開催しました。L佐藤によるウクライナの最新事情とライオンズ全体でできる支援のあり方についてスピーチの後、若手メンバーの活動紹介を行いました。モンゴルのヘルレンLCからビジターのご参加と福岡からの新メンバーも加わり華やかな例会となりました。

日本橋N11ギャラリーにて 人間の業をテーマに展示がスタート! 一ノ瀬健太 x 渡邊一翔 「Affirmation of Gō ー業の肯定ー」

L一ノ瀬が日本橋N11ギャラリーでグループ展を開催しております。日本橋三越から歩いて1~2分の距離にございます。落語家である立川談志が語った業の肯定がテーマです。人間のよい生点、悪い点、美しいこと、汚いこと、人間の営みすべてを肯定し愛した談志のこの言葉を表現することに若きアーティストが挑みました。ショーウィンドウ型のギャラリーなので気を遣うことなくご覧いただけます。最寄りの際はぜひお立ち寄りください。

東京藝術大学の学園祭「藝祭」が3年ぶりに開催されました!

上野といえば東京国立博物館、西洋美術館、東京都美術館、科学博物館と美術館、ミュージアムが立ち並ぶ稀有な場所として有名です。しかし、その同じ公園内に東京藝術大学があることはあまり知られていません。

今回の上野の杜ブログでは、東京藝術大学の学園祭である藝祭についてご紹介いたします。

藝祭とは…

美術学部と音楽学部の学生たちが中心となって日頃の研鑽の技術を社会に公開する学園祭です。基本的に毎年9月上旬の3日間金土日で実施されます。東京上野にある上野キャンパスをメイン会場に駅やまちの中で多様なイベントを行います。とりわけ有名なのは、巨大な御輿(みこし)です。

あいにくの雨模様でしたが、3年ぶりのリアルな場での藝祭の開催に天も喜んでいたのかもしれません!

地球の中から現れた怪獣をテーマにした御輿
ジンベエザメをテーマにした御輿
こちらはパチンコ台をテーマにした御輿

熱気位あふれるパフォーマンスが催されました!!!各御輿には、上野観光連盟や地元の商店街、神田明神、北茨城市、学長から賞が授与されます。賞によっては、まちの中で展示やパレードができたり、アーティストとしてまちの中でアート作品を展示する権利が与えられたりします。

※ちなみにこの御輿は1年生が夏休みをかけて制作されたものです。例年、引き取り手が見つからず、藝祭から1週間後には解体されてしまうものがほとんどです。今回も引き取り手が見つかることを祈ります。

過去の御輿パレードの様子はこちらからご覧になれます

まちでの演奏も…

今年は、まちの中で演奏も行われました。藝祭と商店街は例年コラボレーションを行なっておりましたが、こちらも3年間分断され、まちでの展示や演奏のノウハウが消えかけておりましたが、こちらもギリギリのところで、大学と商店街の繋がりやノウハウを繋ぐことができました。

藝祭2022 x 上野倶楽部
https://ueno-club.jp/geisai/

奉納演奏の場所は、摩利支天徳大寺様です。藝大のOB&OGが和とロックを合わせた演奏を行いました。当日は、摩利支天様のご開帳もあり、多くの方で賑わいました。

奉納演奏の後は、このような出会いも!!!

また東京文化LCのメンバーであり、現役の芸大生・L一ノ瀬も奉納絵馬を描いております。

最寄りの際は、ぜひ藝願成就の絵馬をご覧ください。

藝祭サンバパーティー

藝祭でお御輿と同じくらいに有名なものがサンバです。藝大サンバパーティーと呼ばれ、藝大生が大声をあげ、持てる限りの力を持って飛び跳ねます。盛り上がりの渦の真ん中では熱気がすごく、メガネをかけて臨と曇るくらいに蒸気が凄まじいです。例年、商店街の通りで行われていたサンバパーティーですが、今年はおかちまちパンダ広場で演奏が行われました。

青春っていいですね!!!コロナの中でもできることがある。芸術の火をたやしてはならない、と勇気づけられました。


今年の藝祭の学内展示は完全予約制で大学構内への立ち入りは制限されておりました。来年は、学内への立ち入り制限もなく、模擬店やサンバが堂々と学内で行われることを祈念しております。

藝の道は厳しいものではありますが、引き続き、東京文化LCは誠実に藝の道に励む若者を応援して参ります。

それでは、来年の藝祭でお会いしましょう!

ブラジル独立200周年コンサートと音楽例会を同時開催!

日本ヴィラ=ロボス協会/駐日ブラジル大使館主催の #ブラジル独立200周年コンサート が開催されました。#東京文化ライオンズクラブ は本公演の協力を行なっており、メンバーは音楽例会として客席でブラジル音楽を担当いたしました!

下記のリンクよりアンコールの様子を少しだけお届けいたします!

演奏の様子はこちらから
https://www.facebook.com/tokyobunka1/videos/607383534129613


さらに、メンバーの茅野Lより解説と当日の様子をお伝えいたします!

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東京文化ライオンズクラブ 音楽例会

クラッシク音楽は聖歌から中世ヨーロッパの王室の庇護のもと成長しました。

そして、大航海時代ヨーロッパ各国は世界を制覇に乗り出し、キリスト教や欧州文化を世界に広めていきました。それから400年、欧州クラッシク音楽にブラジリアン文化を吹き込んだ素晴らしき音楽家ヴィラ・ロボスとオスカル・ロレンゾ・フェルナンデス。彼らの音楽は地球の反対側で結実したと言えます。

今回、東京文化ライオンズクラブではオタヴィオ・コルテスブラジル大使を招いたブラジル独立200周年記念コンサートに協力して音楽例会を開催いたしました。

中嶋Lが感動したロボスの「ブラジル風バッハ第4番・第9番」バロック音楽がブラジル文化に融合するとは驚きです。考えてみればブラジルはボサノバがあります。ロボスはバッハを敬愛していたとのことブラジリアンからみたバッハはとても新鮮でした。

私は日本初演フェルナンデスの「田園風当方の三博士祭」組曲がとても印象深かったです。

バイオリンからベースまで弦楽器をリズムセッション的に使い、メロディは管楽器が中心に展開するブラジル色の濃い素晴らしい演奏でした。

アンコールにはサンバ、フルオーケストラで初めて聴きました。大いに盛り上がる素晴らしい演奏会。演奏終了後しばらくは、 気分はブラジリアン・・・

コーディネイト頂いた浦田Lに感謝です。

東京文化ライオンズクラブではこのような音楽例会を今後オープン化してご興味のあるライオンズ同志の方々にもご参加して頂けるようにしていきたいと思います。

乞うご期待!!!